エステル物語 14
「悩みが喜びに、嘆きが祭りに」
Jesus, Lover Of My Soul
旧約聖書 エステル記  9-10章
これまでのストーリー
 今日は、エステル記の最後のお話しです。まずこれまでの話しを思い起こしておきたいのですが、3章に「ハマンの策略」という話が書かれていました。ハマンというのはペルシア帝国の王様に次ぐ実権をもった大臣でしたが、彼におべっかを遣わないモルデカイというユダヤ人がいました。彼は宮殿の門衛に過ぎませんでしたが、ハマンはこの男の事がしゃくに障ってならなく、彼がユダヤ人であるということを知ると、余計になんとかしたくなったのでした。それで、ハマンはこの際、ユダヤ人全部を撲滅してしまおうという奸計をめぐらすのです。彼は、王様から絶大なる信頼を得ていましたから、王様を言いくるめるのは簡単なことでした。ハマンは、ペルシア王の勅令という形で「ユダヤ人撲滅令」を発布したのでした。

 ところで、ここでハマンはこの計画にとても趣味の悪い一つの遊びを取り入れました。すぐにユダヤ人を撲滅するのではなく、撲滅を実行する日を定めて、その間、ユダヤ人たちを恐怖のどん底に落とし、苦しみの中に過ごさせようとしたのです。ハマンは「その日」をプルというくじを引いて決めたとあります。すると、そして、それはちょうど一年後、12月13日に決められたのです。そして、その勅令がペルシア全土に布告されました。当然、ユダヤ人たちは恐怖に震えることになったのでした。

 ところが、モルデカイとエステルの活躍によりまして、事態は逆転しました。ハマンの奸計は王の知るところとなり、ハマンはきに処刑されてしまいます。そして、ハマンの地位をモルデカイが、ハマンの財産をエステルが嗣ぐことになったのです。

 しかし、王の勅令は決して取り消すことができないという決まりがありました。このため、ハマンが死んでも「12月13日のユダヤ人撲滅令」は有効なのです。そこで、実権を握ったモルデカイは、王様の許可を得て新しい勅令を出しました。それは、ユダヤ人が自分たちを迫害する者らに対して、自衛のために戦うことを許可するものでした。ハマンが刑死し、モルデカイが大臣となり、ユダヤ人の自衛権が与えられたとなれば、事実上、前の勅令は取り消しになったと言ってもよいでしょう。
逆転の日

 「第十二の月、すなわちアダルの月の十三日に、この王の命令と定めが実行されることとなった。それは敵がユダヤ人を征伐しようとしていた日であったが、事態は逆転し、ユダヤ人がその仇敵を征伐する日となった。」(9章1節)

 さて、いよいよその問題の日がきました。12月13日、ハマンがプルというくじで決めたユダヤ人撲滅作戦の実行の日です。ユダヤ人たちは、自分たちを迫害するものに備えて戦いの準備をし、町ごとに集結しました。

 しかし、この日、実際を迫害して殺そうとする者はほとんどいなかったと言います。

「ユダヤ人はクセルクセス王の州のどこでも、自分たちの町で、迫害する者を滅ぼすために集合した。ユダヤ人に立ち向かう者は一人もいなかった。どの民族もユダヤ人に対する恐れに見舞われたからである。諸州の高官、総督、地方長官、王の役人たちは皆、モルデカイに対する恐れに見舞われ、ユダヤ人の味方になった。」(9章2-3節)

 問題はハマンの息子たちでした。ハマンの息子たちは、ハマンの仇討ちを果たそうと、親衛隊と共にユダヤ人狩りをしようとしたのです。とはいえ、諸州の高官、総督、地方長官などを味方につけてしまったユダヤ人にかなうはずもありません。旧ハマン一派は、上野に立てこもった彰義隊のようなものだったともいえましょう。彰義隊は3000人で寛永寺に立てこもり、2万の新政府軍と決戦をしましたが、半日で無惨に散ることになってしまいました。もっとも、旧ハマンの一族もそれなりの勢力があったようで、全国規模では7万、8万の勢力があったようです。首都スサにおいては、13日だけで戦いは終わらず、あくる日に持ち越したということも書かれています。

 「エステルは言った。『もしお心に適いますなら、明日もまた今日の勅令を行えるように、スサのユダヤ人のためにお許しをいただき、ハマンの息子十人を木につるさせていただきとうございます。』『そのとおりにしなさい』と王が答えたので、その定めがスサに出され、ハマンの息子十人は木につるされた。スサのユダヤ人はアダルの月の十四日にも集合し、三百人を殺した。しかし、持ち物には手をつけなかった。王国の諸州にいる他のユダヤ人も集合して自分たちの命を守り、敵をなくして安らぎを得、仇敵七万五千人を殺した。しかし、持ち物には手をつけなかった。」(9章13-16節)

 結局、ハマンの10人の息子たちもすべて捕らえられ、殺され、木にかけられました。そして、ユダヤ人の仇敵7万5千人が戦死したと言われています。
プリムの祭り
 「モルデカイはこれらの出来事を書き記し、クセルクセス王のすべての州にいる全ユダヤ人に、近くにいる者にも遠くにいる者にも文書を送り、毎年アダルの月の十四日と十五日を祝うように定めた。」

 さて、モルデカイは、このユダヤ人の勝利の日をプリムの祭りとして大切に守り、後々まで忘れないようという命令を題しました。このプリムの祭りは今日に至るまでユダヤ人によって守られています。そして、かならずエステル記が朗読されるのだそうです。逆にいうと、エステル記というのは、このプリムの祭りの起源を子々孫々に伝えるために書かれた物語だと言えましょう。

 最後に、ここで、9-10章から学ぶことができる霊的メッセージについて考えてみましょう。

@ 逆転勝利

 「それは敵がユダヤ人を征伐しようとしていた日であったが、事態は逆転し、ユダヤ人がその仇敵を征伐する日となった。」(1)

 「敵をなくして安らぎを得た日として、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わった月として、この月の両日を宴会と祝祭の日とし、贈り物を交換し、貧しい人に施しをすることとした。」(9章22節)

 神様を信じる生活が、そうでない生活に比べて悩みが少ないということはありません。むしろ、神様を信じていた方が、悩みが多いのではないでしょうか。この世というのは、道徳や正義感、優しさや思いやりを持たない方がずっと生きやすいのです。クリスチャンというのはそういう真面目さや優しさがあるために余計な重荷を背負ってしまったり、損な役回りをさせられたり、傷つけられたりすることが多くあります。

 しかし、その事態が逆転する日が来るのだということをエステル記は物語っています。どんなに悩みの多い人生を生きていても、神様を信じる道を歩み続けた人は必ず、神様によって勝利の冠が与えられるのです。そして、逆に悪しき人たちは神に裁かれるのです。どんな勝負も最後に負けたら意味がありません。私たちは、どんなに敗北しているように思えるときにも、最後には大逆転が起こり、必ず勝利が与えられるのだという希望をもちつづけて、信仰を貫きたいと思います。

A クリスチャンの戦い方

 「しかし持ち物には手をつけなかった」(10,15,16)

 ユダヤ人が敵を討ったとき、「しかし持ち物には手をつけなかった」ということが繰り返されています。つまり、この世の富が目的の戦いではなかったということです。

 クリスチャンにも戦いが必要な時があると思います。それは武器をとって戦うような戦いではありません。悪魔の力に対抗するための霊的な戦いです。

 「最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。」(エフェソ6:10-12)

 このようにクリスチャンの戦いはいつも悪魔を相手にする戦いでありますから、その勝利も霊的なものでなければなりません。霊的な実りを豊かに受ける勝利を得ることが大切なのです。

 しかし、これがなかなか難しいことでもあります。たとえば自分が絶対に正しくて、相手が絶対に間違っているということがあるとしましょう。そういうとき、自分の怒りや悔しさを満足させるようなことを求めたら、それはもう霊的な戦いではなく、肉の戦いになってしまうのです。霊的な実りを受ける勝利とは、敵から何かをしてもらうような勝利ではなく、神様から何かをいただけるような勝利なのです。

 イエス様の十字架の勝利は、まさにそのような勝利でした。つまり敵から何も求めないばかりか、敵のために執り成しを祈る、それによって敵に勝利をなさったのです。

B 喜びを分かち合う

「ユダヤ人が敵をなくして安らぎを得た日として、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わった月として、この月の両日を宴会と祝祭の日とし、贈り物を交換し、貧しい人に施しをすることとした。」

 12月14日は、敵がいなくなった安らぎの日、悩みが喜びに変わり、嘆きが祭りに変わった日として記念されることになったと言われています。そして、その喜びの日に何をしたかというと、互いに贈り物を交換したり、貧しい人に贈り物をしたりしたというのです。

 贈り物をするということは、喜びを分かち合うということです。たとえそれが葬儀のような時であっても、お世話になったことへの感謝を互いに分かち合うということで、お花料を包んだり、そのお返しをしたりということがあります。ですから、悲しみの中にも感謝べき喜ぶべきことがあり、その喜びを分かち合っているのだと言ってもいいのではないでしょうか。

 最大の贈り物は、自分を与えるということです。この最大の贈り物は別の言い方で愛ともいいます。神様の救いは、私たちに喜びをもたらし、そして愛をもたらすのです。クリスチャンが、感謝をもって、喜びをもって人に仕えたいと思うのは、そのような神様の救いの力によることなのです。

C 忘れない

 「ユダヤ人は自分たちも、その子孫も、また自分たちに同調するすべての人も同様に毎年この両日を記載されているとおり、またその日付のとおりに、怠りなく祝うことを制定し、ならわしとした。こうして、この両日はどの世代にも、どの部族でも、どの州でも、どの町でも記念され、祝われてきた。このプリムの祭りは、ユダヤ人の中から失せてはならないものであり、その記念は子孫も決して絶やしてはならないものである。さて、王妃となったアビハイルの娘エステルは、ユダヤ人モルデカイと共にプリムに関するこの第二の書簡をすべての権限をもってしたため、確認した。」(9章27-29節)

 この救いの日は、「怠りなく祝うこと」が決められました。そして、世代を越えて「失せてはならないもの」であると言われています。そのために、エステルとモルデカイはすべての権限をもって文書を作ったというのです。

 クリスチャンにもこのように大切な日があります。それは日曜日です。日曜日はイエス様が復活した日です。これを記念するために、人々は仕事を休み、自分の用を後回しにして、教会に集い、祭りを開きます。たとえ受難節であっても、日曜日は復活祭であることには変わり在りません。復活の記念日、それを怠ることなく祝い、世代を越えて失せてはならない喜びの日、救いの日として伝えてきたのがキリスト教なのです。

 もちろん、復活の喜びを本当に祝うためには、イエス様の十字架の死を忘れることもできません。しかし、十字架で終わるのではなく、復活に至る十字架なのです。エステル記がユダヤ民族の受難に始まり、そして逆転勝利で終わり、そこからプリムの祭りが定められたことによく似ています。

 もう一つ注意したいことは、祭りだけではなく、文書によってもそれが伝えられたということです。私たちにとってそれは聖書でありましょう。聖書が私たちに救いの日を思い起こさせ、そして喜びの礼拝へと招いてくれるのです。だから、救いがわからなくなったら聖書を読めば善いということになります。 
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