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先週は、「再び」の恵みと、「かもしれない」の信仰についてお話をしました。「再び」の恵みとは何か。一度は神様を裏切って背いた預言者ヨナを、神様は再び預言者としてお立てになり、もう一度ニネベに行きなさいという召命を与えてくださいました。このように神様は人の罪を赦すばかりではなく、もう一度やり直すチャンスを与えてくださるお方であるというのが、「再び」の恵みであります。
もう一つ、「かもしれない」信仰というのは、どんな絶望の中にあっても、神様の憐れみを見続ける信仰ということであります。ニネベの人たちは、ヨナの宣教によって、自分たちに対する神の怒りが頂点に達していること、それゆえこの町は神様によって滅ぼされるということを知りました。これは悔い改めの呼びかけではなくて、滅びの宣告でありますから、もうそこには何の救いもないという状況だったのです。それでもなお、ニネベの王は、心を尽くして悔い改めれば、あるいは神様が思い直されて、滅びを免れる「かもしれない」と言って、民衆に誠心誠意の悔い改めたと言います。
「必ず救われる」というのではなく、「かもしれない」というのは、信仰としてはいささか頼りなく、弱々しく聞こえるかもしれません。しかし、そうではないのです。神様から見放され、見捨てられ、滅びを宣告された状況の中で、神様の怒りの大きさだけを考えたら、どんな望みも持てません。そういう中で、神様の激しい怒りの奥底に、もっと大きく激しい憐れみがあるということを見続ける力強い信仰、それがなければ、この「かもしれない」という信仰は生まれてこないのです。
ニネベの人たちは、真剣なる悔い改めをしたから滅びを免れた、というのは決して間違いではないでしょう。けれども、そのような真剣なる悔い改めができたのは、どんなに私たちの罪が重くても、どんなに神様の怒りが激しくても、それを飲み尽くしてあまりある神様の憐れみの深さというものを信じることができたからなのです。
そのことを忘れると、「私がこんなに悔い改めているのに、どうして神は赦してくださらないのか」みたいな、奇妙な暴論が出てこないとも限りません。あるいは、「どうせ、地獄に行くならばとことん悪いことをしてやれ」というような自暴自棄に陥る人もいるでしょう。神を信じると言っても、結局は自分が何をしたかということは一番大事で、常に自分本位であることから抜け出すことができない人は、こうなるのです。
そうではなく、神様に目を向けなければなりません。しかも、神様がどんなに厳しく思えても、その中に神様の本質である愛をみること、(キリストを見ることと言い換えてもいいかもしれません)、それが信仰なのです。
神様は憐れみの神です。罪を憎み、どんな小さな罪をも容赦しない義なる神であると同時に、恵みにより頼む者を憐れまずにはいられない神様なのです。私たちの信仰は、自分の罪深さを見つめ、それに対する神様の怒りと悲しみを見つめるだけではなく、このようなものをなお赦して愛そうとしてくださっている憐れみの神様を見ることにあるのだということをしっかりと覚えたいと思います。 |
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さて、今日は、ニネベにこのような力強い信仰と悔い改めを呼び起こしたヨナの宣教について、ご一緒に学んで参りたいと思います。しかしながら、ヨナというのは決して偉大な預言者とは思われないのです。大胆に神様に背きながらも、ただただ神様の憐れみに寄りすがって、その務めを果たし得た預言者であります。そういう小さき者に過ぎないヨナの宣教が、ニネベという大都市がひっくり返すような悔い改めを実現させ、神様の憐れみを地に呼び下したということは、本当に驚くべきだと思うのです。
いったいヨナは、どんな凄い宣教をニネベで繰り広げたというのでしょうか。3-4節をもう一度読んでみましょう。
「ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った。ニネベは非常に大きな都で、一回りするのに三日かかった。ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。『あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。』」(3:3-4)
ニネベは非常に大きな都であったと言われています。どのくらい大きいな都であったかと言うと、一回りするの三日かかったというのです。この「一回り」というが、城壁をぐるりと一周回ることなのか、それとも町を隈無く行き巡ることなのか、その辺のところはよくわかりません。もし城壁一周だとしたならば、その城壁は100キロぐらいあったことになるでしょう。その中に、十二万以上の人々が住んでいたと、『ヨナ書』の最後には記されています。
しかも、ニネベというのは、イスラエルの町ではありません。異邦人の町です。偶像礼拝の町であり、真の神様を信じる人など一人も住んでいないのです。そのため、ニネベの人たちの行状、生活は悪に染み、非常に堕落していました。まさにそのことのゆえに神様に見放され、滅ぼされようとしていたのであります。その上、イスラエルとの関係を言えば、敵対関係にあったと言えます。そういうことを考えますと、ニネベの人たちがイスラエル人のヨナを歓迎するなどということは、まったく考えられないのであります。
そんな町の中に、小さきヨナはたった一人で、御言葉を宣べ伝えるために乗り込んでいったのでした。ヨナはニネベの町を隅々まで行き巡り、「あと四十日したら、この町は滅びる」と叫び続けたと言います。聖書には書かれていませんが、当然、白い目で見られ、迫害も受けただろうと想像されます。それでも、ヨナはひたすら御言葉を宣べ伝え続けました。ヨナの無力さを考えますと、それは痛々しくさえ思えます。
実は、私もヨナの経験に通じるような体験をしました。神学生の時代、友人たちと路傍伝道をしたのです。神学校の近くの武蔵境の駅前や、クリスマスが近づきにぎやかになった表参道の歩道で、讃美を歌ったり、道行く人々に声を張り上げて説教や証を語りました。しかし、足を留めて聞いてくれる一人もありませんでした。ビラさえ受け取ってもらえませんでした。神様の御言葉が語られているのに、気づきもしないで、ただただ自分の心にあることばかりを思って、足早に通り過ぎていく人々。キリスト教の伝道だと気づいて、避けるように通り過ぎていく人々。私はこういう国で、こういう町で、伝道せよと、神様の召命を受けているのだと、そのとき、つくづくと実感をいたしました。
日本の教会、伝道者、そして信徒の方々は、誰もがこのヨナの無力さを我が事として経験することがあるのではないか、と思います。みなさんも、家族の中で、あるいは職場で、あるいは地域社会の中で、クリスチャンとしての孤独さを味わっていないでしょうか。キリスト教への誤解、無理解、敵意というものを感じていないでしょうか。そのような中で、人を教会に誘うどころか、自分自身さえ教会に行くことの困難さを覚える経験しておられないでしょうか。日本では99パーセントの人たちが異教徒なのであります。そして、偶像礼拝や迷信が満ちた国なのです。
先日、大垣教会に赴任した崔和植先生からお電話をいただきました。大垣市にある私立の幼稚園はみな仏教系だと嘆いておられました。ヒジュちゃんは幸いにして歩いて30-40分もかかるところにある公立の幼稚園に入ることができたそうですが、子供は10人に満たない数しかいなかったというのです。そうしますと、大垣市に住むほとんどの子供たちが、幼稚園の時に仏教の教えを受けてから小学校に入るということなのです。しかし、これは大垣市が特別ということではなく、日本中どこでも似たような現状でありましょう。
ヨナはまさしくそのような孤独で、無力な信仰者、伝道者であったのです。しかし、一度は逃げ出してしまったヨナでありますが、再びチャンスを与えられたヨナは、その大きな大きなニネベの町の中をぐるぐると歩きながら、あらん限りの声を振り絞って御言葉を宣べ伝え続けたというのであります。
「ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び・・・」
私は、この「叫び」という言葉の中に、ヨナの伝道のすべてを見るような気がするのです。耳を傾けてくれる人がいるならば、ヨナは雄弁な演説もしたでしょう。知恵を尽くして議論もしたでしょう。しかし、誰も聞いてくれない町の中で、ヨナはただ命じられた言葉を叫び続けるしかなかったのです。
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しかし、誰も聞いてくれない中で、叫び続けることにどんな意味があるのか? ヨナもそのような疑問を感じたかもしれません。けれども、ヨナは立ち止まりませんでした。何日かかったか分かりませんが、ニネベの町で叫び続けました。なぜなら、それこそが、ヨナに対する神の命令であったからです。
私はここでも、いくつかの御言葉が心に浮かんできます。一つは、イエス様が弟子たちを宣教のため町々に派遣された時に言われた言葉です。イエス様はこう言われました。
「わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。」(『マタイによる福音書』10章16節)
伝道というのは、どの世界にあっても、いつの時代にあっても、常に困難なものなのであります。イエス様はそのことを百も承知でおられました。だから、「へびのように賢く、はとのように素直であれ」と、イエス様は言われたのです。
「へびのように賢く」とは、どういう事でしょうか。聖書において蛇はサタンを象徴する動物です。つまり、これはサタンの知恵に勝る知恵を持ちなさいということではないかと思うのです。サタンは、人をだまし、神様から引き離し、絶望させ、滅びに陥れるために策略を練っています。私たちはそのようなサタンの策略を見破らなくてはいけません。そして、しっかりと神の真理に立って、サタンに抵抗しなければならないのです。
他方、鳩は聖霊を象徴する動物です。「鳩のように素直であれ」とは、聖霊に満たされ、聖霊に従う人として、神様の御心を忠実に行いなさいということだと思われます。このように、真理に立つこと、御魂によって歩むこと、これが世に証しを立てるクリスチャンに対する、イエス様の忠告、勧告なのであります。
もう一つ思い起こすのは、パウロによって語られた次のような御言葉です。
「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」(『コリントの信徒への手紙1』15章58節)
「こんなことをしてもどんな意味があるのか」というような時でも、私たちがしっかりと真理に立ち、主の御業に励んでいるならば、必ず主の御手の中でそれが実を結ぶときがくるのだという希望の言葉であります。この希望なくして、ヨナはニネベの町で伝道することはできなかったでありましょう。私たちも、この希望をもって、主の業に励む者になりたいと願うのです。
さて、このような主に対する信仰からくる希望の他、どんなこの世の望みもない中で、ヨナは伝道をしました。すると、そこにヨナ自身も驚くようなことが起こったのです。5節、
「すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。このことがニネベの王に伝えられると、王は王座から立ち上がって王衣を脱ぎ捨て、粗布をまとって灰の上に座し、王と大臣たちの名によって布告を出し、ニネベに断食を命じた。」(5-7節)
イエス様ですら、ガリラヤの町々を巡り歩き、あるいはエルサレム神殿の中で何日も説教したにもかかわらず、エルサレムを回心させることはできませんでした。しかし、ヨナの宣教によって、大いなる都ニネベが、王から民衆に至るまでこぞって悔い改めたのだというのですから、これは本当に驚くべき事です。イエス様は、このことに触れて、こうようなことをおっしゃいました。
「ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである。」(『マタイによる福音書』12章41節)
悔い改めた異邦人の都ニネベの方が、悔い改めない神の都エルサレムに勝ると、皮肉たっぷりにお語りになったのです。
願わくば、この日本の町々、村々においてもニネベのような回心が起こってほしいと願います。それにしましても、どうして日本にはこのような回心が起こらないのでありましょうか? 日本には八百万の神々という偶像礼拝があって、格別に強い悪魔の力が働いているからだという話を聞いたことがありますが、多神教の国は他にもたくさんあります。日本のクリスチャンは祈らないからだという人もいますが、日本にもすばらしい伝道者、信仰者がたくさんおります。結局、私にはその答えが分からないのです。
けれども、考えてみますと、同じ外来宗教である仏教も、民衆の信仰として定着したのは鎌倉時代と言われています。仏教伝来から500年という歳月がかかっているのです。キリスト教は本格的な布教が始まってまだ120年というところですから、まだまだ希望をもって伝道するより他はないと思うのです。
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それにしましても、改めて問いますが、どうしてニネベの人たちは悔い改めするに至ったのでありましょうか。ヨナの働きがあったことはもちろんでありますけれども、ヨナが伝えたのは救いではなく、滅びでありました。「四十日したら、この町は滅びる」という裁きのメッセージだったのです。そういう裁きのメッセージを聞いて、人間というのは簡単に「それは大変だ」と悔い改めるものなのでしょうか。自分自身のことを考えればすぐに分かります。
どうしてニネベの町の人たちは悔い改めたのか。それはヨナの力というよりも、神の力だとしかいいようがないのです。けれども、それならば、一方ではニネベの町を滅ぼすと宣告しながら、他方ではニネベを救おうとなさっておられたということになります。「滅びる」というのは、単なる脅かしだったのでしょうか。
実は、ちょっと種明かしみたいな話なのですが、この「滅びる」という言葉は、ヘブライ語では「ひっくり返える」という意味の言葉なのです。思うままに悪行を繰り返して安穏としてきた人々が、ついにそのままではいられなくなって、滅ぼされてしまうということも「ひっくり返る」ことですが、神を神とも思わなかった人々が、神様に立ち帰ろうとして、その行いを改めて、真摯になって悔い改めるということも「ひっくりかえる」ということです。要するに、今のままではいられなくなる。そういう時がくる。それが「滅びる」、「ひっくりかえる」というメッセージだったわけです。
「四十日すると・・・」と、神様は言われました。神様は、ニネベの人たちに四十日という猶予の期間をお与えになったのです。この間に、ニネベの人たちはどちらにひっくり返るのか、つまり今まで通りの生活を続けて、神様の容赦のない裁きによって滅ぼされるという道と、自ら自分の生活をひっくり返して、つまり悔い改めて、神様の憐れみを請い求めるという道と、二つの選択肢を選ぶことができたのでありました。
みなさん、今日の私たちの世界も、ニネベの町と同じような状況におかれていると言ってもいいのではないでしょうか。
神を神としないような人たちが大手を振って生きている世の中です。「神の裁きなどあるものか。私たちは自分の好きなように生きるのだ」と我が物顔に世の中を生きています。しかし、必ず主の日が来ます。彼らがそのままでは居られなくなる日が来るのです。その時、今、神を恐れる正直者たちは苦渋を嘗めながら、悲しみながら生きているかもしれませんが、主の大いなる憐れみを見て喜ぶでしょう。歓喜するでしょう。その日は刻々と近づいているのです。
最後に、二つの御言葉を紹介したいと思います。一つは、『ペトロの手紙二』3章8-13節です。
「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。だから、愛する人たち、このことを待ち望みながら、きずや汚れが何一つなく、平和に過ごしていると神に認めていただけるように励みなさい。また、わたしたちの主の忍耐深さを、救いと考えなさい。」
主の日は必ず来る。決して遅れているのではないということが言われています。ただ、神様は一人でも多く人々がこの猶予期間に悔い改めることができるようにと忍耐して待っておられるのだというのであります。どうか、私たちも聖なる恐れをもって日々を過ごしたいと思います。
それからもう一つ、『ルカによる福音書』24章46節のイエス様の御言葉を、文語訳でご紹介します。
「かく録(しる)されたり。キリストは苦難を受けて、三日目に死人の中より甦り、且その名によりて罪の赦を得さする悔改はエルサレムより始まりて、諸々の國人に宣べ伝へらるべしと」
ニネベの人たちが、神様の激しい怒りのうちにも神様の本質である愛を見て、「かもしれない」の信仰を持ち、悔い改めることができたように、私たちはイエス様の十字架と復活のうちに、神様の本質である愛を見て、救いに望みをかけ、悔い改めることができるのです。十字架のキリスト、復活のキリスト、このキリストの名によって、罪の赦しを得させる悔い改めを、諸々の國人に宣べ伝えよとの、イエス様の教会に対する宣教命令がここに示されているわけです。
私たち自身、まず聖なる恐れをもって悔い改めることが大切です。しかし、それにとどまらず、主の時が近づいていることを、しかし神様の憐れみがまだ私たちに残されていることを、世の人々に力強く証する教会でありたいと願います。 |
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聖書 新共同訳: |
(c)共同訳聖書実行委員会
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Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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