困難も神の賜物

 飢饉が国を襲ったので、ある人が妻と二人の息子を連れて、ユダのベツレヘムからモアブの地に移り住んだ。 

旧約聖書 『ルツ記』1章1節

 すべてのことに意味がある
 
 飢饉に直面した家族が、どんな困難に陥ったか想像に難くありません。しかし、「食物さえあれば、今までどおりの暮らしができる」と考えて、神の約束の地である自分たちの国を離れてしまったのは、安直だったというお話を前回しました。

 私たちが人生で直面するすべての事には、何らかの意味があります。その中に神様の深い御心が込められているのです。たとえ困難でも悩みでも、それを受け取ることが結局は神の祝福につながるのです。(参照:ヘブライ12:11)

 大切なのは神様から目を反らさないこと

 辛ければうめいても、泣いてもいい、大切な事は、決して神様から目をそらさないこと、そして自分の力で困難から逃げ出そうとしないことです(そんなことをしても逃げられない事は次回の話で分かります)。

 塚本虎二先生もこう言っています。「悲しかったら泣きたまえ。苦しかったら遠慮なくうめきたまえ。その方がよっぽどクリスチャンらしい。神様にしてもだが、せっかく折檻しているのに感謝ばかりされた日には、拍子抜けするだろうが。」

 困難を通してでなければ手にすることができない幸せ

 神様が試練に遭わせるのは折檻ばかりのためとは限りませんが、人生には困難を通してでなければ手にすることができない幸せがあるのです。それを逃げてばかりいたら、せっかくの祝福の御心も届かないで、神様も「のれんに腕押し」ということもあるのではないでしょうか。

 山口博子さんのこんな歌を思い起こしました。

 目を閉じなければ、見えない世界がある。
 口を閉じなければ、言えない言葉がある。
 耳をふさがなければ、聞こえない声がある。
 歩みを止めなければ、会えない人がいる。
 少しぐらい遅れたとしても
 大切なものを見つけたいから
 道であり、真理であり、いのちである主に
 尋ね求める 時を忘れて

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