自尊心が生きる道をふさいでしまう

 「畑に行ってみます。だれか厚意を示してくださる方の後ろで、落ち穂を拾わせてもらいます」

旧約聖書 『ルツ記』2章2節

 神の恵みを求めるなら、生きることができる

 当時のユダヤの国には、貧しい人々や旅人が他人の畑で落ち穂を拾い集めることが許されていました。それはどんな人も神様の恵みによって生きることができるようにという、神様の愛に満ちた掟があったお陰でした。

 どんなに生きるのが困難の人でも、神の恵みを求め、神の恵みによって生きようとするならば、あなたの生きる道を見いだすことができるでしょう。貧困であれ、病であれ、他のどんな問題であれ、神の恵みの及ばない問題はないのです。

 自尊心が生きる道をふさいでしまう

 しかし、あなたは神の恵みによって生きようとすることがどういうことかを知らなくてはなりません。あなたには落ち穂拾いができるでしょうか。そんな乞食みたいな真似ができるでしょうか。

 「武士は食わねど高楊枝」なんて言葉があるように、日本人はとても自尊心が強い民族のように思います。どんなに困っていても、「自分は大丈夫だ」「人の世話にはなりなたくない」「自分で頑張らなくては」「人の憐れみなどいらない」と、やせ我慢をしてしまのです。その挙げ句、どうにもならない所まで自分を追いつめてしまうという事はよくあることです。

 へりくだって神の恵みを受けよ

 神の恵みに生きるためには、そのような自尊心がうち砕かれる必要があります。「神に祈るなんて・・・」「神様なんて本当にいのるか」「たとえ神様でも・・・」、このような思いのすべては、自尊心の結果です。

 自分が神様の有無や、その御心の大きさや、能力を決ようとしています。自分が神の優位に立とうとしています。そういう自分を退けて、本当に神様の前に「憐れんでください」とひざまずくものになる必要があるのです。

 大切な事は神の恵みを忘れて生きる自尊心ではなく、神の恵みを求めて生きる神尊心です。それがあればこそルツは落ち穂拾いをする決心をしたのでした。

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