荒川教会のK兄は、洗礼を受ける直前に癌の再発ために入院されました。「退院したらすぐに洗礼を受けましょう」と約束し、洗礼は延期されました。しかし、K兄の体調は悪くなる一方でした。感動的だったのは、その間、奥様が主人の代わりにと言って熱心に教会の礼拝に通われたことでした。
二ヶ月ほどして、奥様がついに洗礼を受ける決心をなさいました。ご主人の退院に希望をもって、洗礼日はご主人から退院したらご夫妻でそろって洗礼を受けることになりました。
奥様が病院でK兄にそれを報告すると、K兄はたいへん喜び、力が湧いてきたのでしょう。「それなら今度のペンテコステに外出して、一緒に洗礼を受けよう」と言われ、無事にご夫妻で洗礼のめでたき日を迎えたのでした。
ところが、K兄にとってその日が荒川教会でまもられた最後の礼拝になりました。K兄は4ヶ月後、召天されたのです。その3日ほど前のことでしょうか。K兄は奥様に「慈しみふかき」の讃美歌の歌詞を紙に書いて欲しいと願われました。きっとK兄はそれを見て、声なき声を出して神様を讃美していたに違いありません。K兄は奥様が書かれた「慈しみふかき」の讃美歌をもって天国にいかました。
K兄ならずとも、この讃美歌は日本中のクリスチャンに愛唱され、結婚式やお葬式でもよく歌われます。
作詞者ジョーゼフ。スクリンヴンはアイルランドに生まれた人ですが、カナダに渡り、学校の先生になりました。彼は聖書の教えの通りに生活する人でした。持ち物を人にただで与え、必要とあれば身に付けている衣服さえ脱いで与え、困っている人を助けたと言われています。彼は人々から尊敬も受けましたが、あまりにも聖書の通りにするので変人とも言われていました。
この詩は、彼が故郷の重病の母への手紙に添えて送ったものです。数日後、友人がこの詩を見つけ、「これは君が書いたのか」と聞きました。すると彼は「イエス様と膝をつき合わせて相談して作ったのさ」と答えたそうです。
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