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私と教会との接点は五歳の頃でした。仲良かった友人が教会学校に通っていた為、自分も行くようになりましたが、当時の私は神様のことを学ぶというより遊びに通っている感覚だったのです。 それからは教会とは無縁の生活を送っていましたが、結婚し、娘が生まれ、その娘が病と闘った結果、とうとう力尽きて亡くなってしまいました。覚悟はしていたものの、実際に娘の死を目の当たりにすると、苦しんだ末に死んでいった娘のことを、苦しむ為だけにこの世に生まれて来たようで、とても辛く、また何もしてあげられなかったという自分の無力さを、そして手の届かないとても遠いところへ娘を奪い去られた様で悲嘆にくれていました。
そんな時、荒川教会の国府田先生と出会い、「Mちゃんは死んだのではなく、神様の国に連れていってもらったのです。幼な子のようでないと天国に入れません。今は神様のところで幸せにしています」とのお言葉を聞き、不憫にしか思えなかった娘の短かった命が救われ、またとてつもなく離れてしまった娘との距離も身近に感じられ、私自身の悲しみも癒されました。
今回、洗礼を受けるにあたって、教会に通い出して日も浅いため迷う気持ちもありましたが、これも娘を通しての神様のお導きと思い受洗の決意をしました。今後は神様の御心に従って日々を過ごしていけることを希望しています。
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