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聖学院に通っていた私は、小学校から高校まで12年間、毎朝の礼拝は日課となっていました。小学生の頃は、日曜学校へも何年か通いましたが、学校での礼拝以外は神様から離れた生活を送っていました。
高校卒業後、礼拝はなくなったものの、最初の就職先もミッション系の病院で、次も家族全員クリスチャンという歯科医院に勤務しました。その上、習慣になってしまっていたのか、長男出産の陣痛の傷みを、私は自分でも気づかぬうちに「主われを愛す」を一生懸命口づさんでこらえていました。就職先にしても、自分が選んだわけではありません。でも今から思えば、何時もかみさまを忘れない様に、聖学院小学校に入学した時からずっと、絶えず神様のお導きだったのだと思えます。 こんな私でも、何年も礼拝、教会から離れ、不信仰な生活をずっとおくっていました。それがまた、娘の死によって教会の門をたたくことになりました。
娘は、お腹の中に居る時から病気なのが分かり、長くは生きられないだろうと言われていました。それだけにある程度の覚悟はしていました。亡くなった時、なぜかどうしても教会式で葬儀をしたいと思いました。主人も賛同してくれたので、すぐにAさんに連絡し、荒川教会を紹介して頂きました。クリスチャンでもないのに、気持ちよく受けていただき、本当に嬉しくありがたかったです。葬儀も無事に済み、友人知人からみな、とても良い葬儀だったと言って頂きました。 それから娘に導かれ、教会に通うようになりました。もう一つ嬉しかったのは、主人と一緒に導かれ、一緒に通えたことです。 洗礼はもっともっと教会に通ってから、と思っていた私は、国府田先生から受洗のお話を受けた時、正直、こんな自分でも受けて良いのか? 本当にずっと信仰を持って生きていけるのか? と迷いばかりでした。ある時、二週続けて日曜礼拝に出席できませんでした。その時、なぜか無性に神様から離れてしまったようで、不安でたまりませんでした。その時はじめて、神様が共におられるというみ言葉を実感しました。
娘を亡くし、悲しみながらも次の子どもを望んでいた私たち夫婦に、まさに娘の生まれかわりかと思うほど早く、神様は子どもを授けてくださいました。私はこれは絶対に神様にお恵みだと思いました。
私はこの二つの出来事で受洗の決意をしました。主人と共に受洗出来ることも大きな喜びです。その喜びはすべて神様が与えてくださったもの、すべて神様のお導きと思っています。
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