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私たち夫婦が荒川教会に導かれまして、もう五年になります。それまでは神様を知りませんでしたし、キリスト教とか教会にまったく無縁の生活をしておりました。けれどもまったく神様の導きとしか考えられないことなのですが、夫婦で教会に来るようになりまして、初めて来た日にオルガンの前奏と讃美歌を聞いて、何故か、「ああ、帰ってきたんだな」という気持ちになったことが、今思い出されます。
ちょうどその頃、マタイによる福音書の説教がなされていました。何週目かの説教の時に、イエス様が徴税人であったマタイを弟子にされた時の話しがありました。イエス様徴税所に座っていたマタイに、「わたしに従いなさい」と語ったんですね。そのときイエス様は、「わたしが来たのは正しい人を招くためではなくて罪人を招く為なんだよ」ということを仰ってくださって、それを聞いて涙が止まらなくなってしまいました。自分に呼びかけられた言葉だなと思って、涙、涙してしまったのでした。
その頃、私は、仕事のことで深く悩んでおりました。会社の業務のことにいろいろ疑問を持ちながらやっていて、自分のやるせなさというか、情けなさというのがいっぱいあったんです。それが教会に来るようになって、イエス様が語ってくださることをたくさん聞いて、本当にたくさんのことに気づかされました。今までの自分が本当に罪深くて、欠けの多い人間だったなということを改めて知りました。それからは教会に来ることが楽しみで、安らぎとなりました。
ところが荒川教会にお世話になって一年半ほどして、福岡に転勤になってしまったんです。私たちからしますと、やっと教会になじんで先生をはじめ祈りの友が与えられて、これからという時でしたから、本当に残念でした。福岡に行って新しい教会で今までのような交わりができるかどうかも不安でした。私にとって仕事の事はずっと重荷になっていましたので、転勤というのは本当にいやだったのです。
福岡では、福岡中部教会にお世話になりました。大きな教会で、小さい子どもを連れての礼拝が本当に厳しくて、時には嫌なことを言われたこともありました。何よりも大勢の方がいらっしゃるので、私たちが入っていてもなかなかなじむのが難しかったです。
国府田先生にずいぶん相談にのって頂きましたし、荒川教会の方にいろんな意味で支えられたのですが、その間、仕事は仕事で以前よりも状況はもっとひどくて、本当に暗い気持ちで毎日を過ごしていました。礼拝に出て神様のことを知れば知るほど、与えられるみ言葉と実生活とのギャップがどんどん大きくなっていくを感じました。神様が求めておられる自分と、会社から求められる自分というのが板挟みになってしまうのです。福岡の二年間というのは本当に苦しい経験でした。
ところが毎週の説教の中では、イエス様がたくさん語りかけてくださるというか、イエス様は常に「わたしに従いなさい」ということを呼びかけられるのですね。わたしの中ではイエス様に従っていくということが、今まで勤めた会社を辞めることなんだなとはっきりと分かってきました。
でも、それが分かっても、私が勤めていたのは大企業で、それなりに役職も与えられていましたし、収入も多いですし、それで生活も安定していましたから、やめてしまって収入がなくなってしまったらどうしようという不安が大きくて、従うことができなかったんです。それに仕事を捜すといっても不況でしたし、福岡にいて東京の仕事を探すということは非常に難しく、「不可能だ、絶対駄目だ」とあきらめていたのです。しかし、礼拝に行きますと、その度に「わたしに従ってきなさい」とイエス様に呼ばれるのでした。
ある日の説教で、第二コリント13章の「私は何事も真理に逆らってはできませんが、真理のためならばできます」というみ言葉を聞いたときに、何故か自分に力強い勇気が湧いてきて、「ああ、もう何でもできるな」って思ったんです。イエス様に従っていくと何でもできる。そう思い立って、翌日、会社に辞表を出しました。
それからいろいろなことがありました。実は、取り寄せていた東京版の求人誌の中で一社だけ興味をもっていた会社があったのですが、東京での仕事ですから福岡から面接に行くこともできずにどうしようかとおもっていたのです。が、そうこうしているうちにその企業の福岡支社の方から転職の誘いがありました。別段こちらから資料請求したわけでも、働きかけしたわけでもなくて、たまたまその会社が求人の働きかけをして時期で、そういう転職の誘いがあったのです。ただし、それは福岡で勤務して欲しいということでした。
私は東京に帰ってくるつもりでしたので、その話しはいったん断ろうとしたのですが、それなら東京で配属先を紹介しましょうと言ってくれて、今までずっと不安に思ってどうしよう、どうしようと悩んでいたことが、自分ではまったく何もしないままに、「東京で転勤のない仕事」という希望通りに与えられたのです。こんなことは普通に考えますと、絶対に無理だと思われることだったのですが、何の障害もなく備えられてしまって、すべて私が決断したときに、神様は備えてくださっていたんだなと、本当に感謝しました。
働き口は見つかったんですが、東京に戻ったときの住むところの問題もありました。今までは会社の補助金があって、経済的な心配をしないで、ある程度は自由に住むことができたのですが、今の会社はそういう制度がありません。私としましては、荒川教会に戻りたいと思っていましたが、教会に通えるところに住む場所をなかなか見つけられませんでした。
福岡から上京してきて、一日の限られた時間でいろいろ飛び回って捜したんですがだめで、荒川教会に通うことを諦めて千葉の方にしようと決めようとしていました。
けれども思いつきで最後に訪問した先で、荒川教会からちょっと距離があるのですが、でも教会に通えるところに場所が見つけられたんですね。それで本当にすべてのことが神様によって備えられていたんだなと思いました。仕事が与えられたこともそうですし、こうして荒川教会に戻ってこれたことも、「私は何事も真理に逆らってはできませんが、真理のためならばできます」というみ言葉に力を与えられて、イエス様に従って行くと、神様が必要な物をすべて備えていてくださったということなのです。感謝でいっぱいです。
福岡の二年間というのは、自分にとっては本当に苦しい経験で、もう二度と経験したくないような苦しみでした。でも、そこで与えられた教会も、最後には教会員の方々と良き交わりができましたし、信仰的にも多くのことを学び、牧師先生をはじめ手本になるような先輩方との出会いもありました。何よりも、福岡にいったことで、私がずっと悩んでいた転職の決意ができたと思うのです。福岡にいかなければ転職することもなかったし、こうしてまた荒川教会にもどってきて同じ礼拝の恵みを受けることができなかったと思うのですね。
神様が、わたしが決断できるように、そして、また荒川教会に戻ってこれるように、すべてのことを用意されていたんだなと思います。すべて神様の計画の中で動いていたんだなと感謝しています。いま、こうして荒川教会にもどって来られて一緒に礼拝できることの恵みが感謝で、私たちにとっては大きな喜びです。 |
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