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井の中の蛙でした。自己中心に思うがままに歩いてきました。人様との交わりの難しさも、病気がちの身体も、最悪の時が過ぎると運がよかったと思い、喜憂の都度それなりの建物にお賽銭をあげ、手を合わせておりました。
今思えば、多くのめぐり逢いの中に、イエス様のお導きを受けておりましたのに、意固地な私は気づかなかったのです。
昨年の夏です。「教会に行く」との私の一言に「本当!」と、娘のうれしそうな目のかがやきに希望が見えました。でも、いざとなると足が重くなり、教会遠い灯に見えてきましたが、すがる思いで参りました。牧師様、皆様、優しく迎えて下さいました。聖書は虫メガネを使わないと見えません。のどがつまって讃美歌に声が出ません。牧師様のお説教を聞いて、皆様の澄んだ声の讃美歌を聞いて心が落ち着き、帰る道は楽しかったのです。
三週目のお説教の時でした。虫メガネが床に落ちて、それに手を伸ばしながら、目が聖書に。その時、文字が大きく見えました。どうしたのか、ふりかなまで見えます。驚きと嬉しさと複雑でした。黙っていられなく、娘に話しました。「神様が目に力を与えて下さったのよ」「聖書を読みなさいとお導きよ」娘は信じてくれました。奇跡という言葉は聞いていましたが、この私に奇跡を与えて下さった神様を、私は信じます。
うれしいことは続きます。牧師様の貴重な聖書を拝読させて頂きました。その充実した日々は、生涯忘れることはないと思います。娘と聖書の話をすると時間を忘れます。
牧師様から洗礼のお話がありました。ふるえました。お祈りの言葉も出来ない私が、神の子と許されるのか。心配で、娘に勇気づけられてもコチコチになる身体を、どうにもなりませでした。洗礼式の前日も、当日も、血圧が上がって雲の上を歩いているようでした。自分が今何をしているのか分からない状態でした。名を呼ばれて、十字架の前に立った時、身が引き締まりました。厳粛な時間でした。
神の御手頭上に頂き身に沁みる あたたかくつよく永遠なりと
七十歳赤児となりてよろこびの 聖霊の水心に受ける
導かれ導かれ来て十字架の 御前に座して生まれ変われり
祝福の笑顔笑顔に囲まれる この御恵みを迷える人に
教会の祝福のなか夫も居る 姉妹の祈り夫に届きて
ありがとうございました。
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