今まで信仰の喜びを改めて考えることなど、正直なところ余りありませんでした。いつのころからか日曜日にはできるだけ教会で礼拝を守る、日常とは少しちがった雰囲気の中で充実感を与えられ幸せでした。
ただ40歳後半になった頃、娘の病気を通して神様にそんないいかげんな信仰に喝を入れらたように思います。子供の精神状態にどう対応していいか分からず途方にくれていたときに、なくらなられた勝野先生の紹介で精神科のお医者さんに出会い、助けられました。
娘が在学していた短大の先生方がたびたび私に手紙でアドバイスしてくださいました。その時いただいたお手紙の一つに、文語体の聖句ですが、ロマ書八章二八節のみ言葉がありました。「すべてのこと相働きて益となることを知る」というみ言葉とその後に「賑やかなご家族と優しいお母様に恵まれたAさんは本当にお幸せです」とあって、わたしはガーンと殴られたようにショックを受けました。
私は少しも優しい母親ではなかったのです。なんとか早く娘を立ち直らせようとひたすらハッパをかけていたことに気づいたのです。光を造り、闇をも造り給うた神様。もしかして私は光にばかり目を向けて、闇を無意識のうちに避けていたけれども、闇の中にも神様はいてくださり、私を支えて下さっているのだと気づかされました。
本当に弱く、破れだらけの私ですが、迷いながら迷いながらこれからも歩んでいくつもりです。
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