私は四十年前に洗礼を受けましたが、それからほとんど教会に行っておらず、その間いろいろと心の葛藤もありました。欲の社会に流されて、この長い月日を過ごしてしまいました。
しかし最後まで私の頭の中に神様の事がずっとありました。この事が神様を覚えて、こうして教会に導いてくれたのだと感謝しております。荒川教会に招かれ、六ヶ月間は私にとって非常に意義のある時であったと思います。それは信仰の事を非常に真剣に考えることが出来たことです。そして、四つの大切なことを知らされました。
一つめは、聖霊との交わりということです。聖書も呼んで参りました。神様は全能な方であり、愛である。人は悪に負け、すぐ神様を裏切ってしまう。そんな人間を神様はイエス様を通して救ってくださった。頭では分かっているのですが、そこに感動がない。信仰が生まれてこない。教会で皆さんと見て、私には何か足りないものがあるのではないか。
そんな時、礼拝の説教の中で聖霊の話を聞き、これだと思いました。頭の中の知識では、神様、イエス様を本当に知ること、見ることが出来ない。聖霊との交わりが、私にはなかったのです。神様からの働きかけが常にあったにもかかわらず、それに気づかなかった。それを求めなかった。
二つめは、祈りの大切さです。私は、この間、親友からある頼み事をされました。これは私一人で決める事ができない事で、妻にも相談しなければならない事でした。妻は反対する事はわかっていました。私は、悩みました。祈ることの苦手な私は、あまり一人で祈ることがありませんでした。しかし、神様の事を真剣に考えていましたから、この時は真剣に祈りました。
夕方、妻が戻り、何か普段とちがう感じがしました。いよいよ話を切り出しました。「あなたがよければ、そうしてあげたらどうですか」と、信じられない言葉が聞かれました。神様は、私の祈りを聞いてくださった。聖霊との交わりを感じました。真剣に祈れば、聖霊との交わりが出来るのだと確信しました。
その日、夕食の時、妻の前で大きな声でお祈りをしました。これは私にとっては非常に勇気のいる事でした。今ではうっかり祈る事を忘れると、「今日はお祈りしないんですか」と言われることもあります。
最近は、祈った結果が私の思いの反対の結果が出ても、すべてをご承知の神様の出してくれた結果として受け入れることが出来るようになりました。
三つ目は教会の大切さです。私が教会に来始めてから一つの大きな変化がありました。それは、多くの兄弟姉妹の仲に入ることが出来たことです。何事も一人で考え、苦しんでいた生活から、多くのクリスチャンの人の中に入り、共に神様への賛美と感謝をする事が出来ることでした。イエス様を通して、教会を通して、信仰生活を送っていく中で、教会は神様と私たちの交わりの源の場であります。ともに感謝し、祈り、苦しみを分かち合い、喜びを味わう事の出来る場所であると思います。
四つ目は、イエス様とのつながりを切らさぬ事です。確かな信仰をもっていても、社会の荒波に、自分を見失い、信仰を見失うことがあります。人間の弱さですね。しかし、このイエス様とのつながりを切ってしまったら、御国を見ることはできません。私はこれからも、聖霊との交わり、祈り、教会、イエス様とのつながりを大事にしていきたいと思います。
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