私は、この荒川区尾久の町へ居住しまして三十五年になります。当時、夫は中学教師、私は三人の子供に恵まれ、専業主婦として何の苦労もなく日々を過ごしておりました。
そんな平和な家庭に突然二女亜紀子が、当時は不治の病とされた急性白血病の宣告されたのは、彼女が三歳の時でした。
それから八年、八回の入退院を繰り返し、「イエス様、連れてって」、「ママ、ごめんね」と最期の言葉を残し、天国へ召されたのは十一歳の春でした。
長い闘病生活は「彼女は何の為に生まれてきたのか」と思うほど、それは苦しく辛い日々の連続でした。その様な私たち母娘を神様が憐れんでくださり、前牧師、今は亡き勝野和歌子牧師の熱い祈りがあり、親子一緒に洗礼を受けることができました。
八ヶ月という非常に短い教会生活でしたが、出来るだけ早く神様のことを知ってほしいと願われた牧師先生、教会学校の先生方、そして教会員の皆様の祈りの中で急速に神様に近づいていったのが私には驚きでした。
再入院になりましたのは受洗後一週間後の事でした。これは神様のお恵みでしょうか。受洗後の彼女の入院生活は意外と穏やかで神様にすべてをゆだねる平安な生活でした。クリスマスも近づき、是非教会で祝いたいとの願いがかない、不安を抱えての退院でしたが、教会での初めてのクリスマス礼拝、祝会に出席でき、彼女は大感激でした。お正月も過ぎ、五年生三学期の始業式に出席。久しぶりのお友達との語らいもつかの間、退院後二週間もしないのに、いよいよ最後の入院となりました。
入院したその日から全身痛みにおそわれ、新しいお薬をためしても効果がなく、その副作用で苦しんでいるちょうどその頃、今も忘れられない亜紀子の叫びがあります。
「この痛みは何なのよ。イエス様を信じてお祈りしてもだめじゃない。あたしばかりがどうしてこんな痛い目にあうのよ。」と、痛さをまぎらわす為か、日頃のうっぷんをぶちまけた事がただ一度ありました。でも、あとで「ママ、ごめんね。だれも悪くないのよね。だれも恨んでいないわ。イエス様は十字架にかけられた時、手を釘付けにされたんだって。さぞ痛かったでしょう」と涙ぐんでいました。その後、彼女の信仰が痛みを増すと共に深化していくのをはっきり感じました。
しかし、日に日に病状が悪化し、それでも全身の痛さに忍耐強くがんばっていたのですが、見かねた医師が「あっ子ちゃん、長い間よくがんばったから、痛みだけでもとってあげようね」と、この日を境にモルヒネを使うことになりました。私は最後まで家族の者と語らい、私と共に祈る事が出来るようにと願っていましたから、「眠らせないでください」と、先生にお願いしました。お陰様で痛みはやわらぎ意識はしっかりしていました。
そんな時、いつも親身になってお見舞いくださる信仰の導き者でありました西山兄が、私に言いました。「お母さん、ひどい事を言うようだが、亜紀子ちゃんの病気を治してくださいという祈りはもう止めなさい。神様は亜紀子ちゃんに白血病でいやされる奇跡以上に大きな御用を託されていると思います。こんな素晴らしいお子さんを育てさせてくださった恵みを心から感謝し、誇りとされる時がきっとあるでしょう。」とおっしゃってくださり、「『亜紀子ちゃんの天国の席が用意されているんだよ』と言う事を、亜紀子ちゃんが聞ける時に話してあげなさい。」と言われましたが、私にはどうしてもできませんでした。
西山兄はロマ書八章一八節を引いて、「苦難の使徒パウロ様は、どんな苦しみでもイエス様の迎えられる時の喜びに比べたら小さいものだと言っている」と語り、お祈りしてくださったそうです。彼女はしっかりとうなずき、アーメンと言ってくれたと、後で聞かされました。
まさに、この御言葉が私たち母娘を救ってくれたのです。数日後、いよいよ臨終がせまった時、私は「あっ子、しっかりイエス様にしがみついていなさい」と言うことしか出来ませんでした。すると、彼女は「イエス様、連れていって」と主を呼び、最後に「ママ、ごめんね」と言って、平安な内に神様のところへ行きました。
あれから二十二年困難な事にもたくさん出会いました。神様を忘れそうになった事もたびたびありましたが、闘病中必至で祈った「あなたがたのあった試練で世の常でないものはない。神は真実である。あなたが耐えられないような試練に合わせることがないばかりか、試練と同時にそれに耐えるように、のがれる道を備えてくださるのである」この御言葉を思い出し、支えられて今日までやってこられました。その上、たくさんの神様の恵みを戴き、私は幸せ者です。
現在、夫は長年務めました教師を定年まで五年を残して退職し、彼女が五歳の頃から書き始めた日記を世に出す為、小さな出版社を設立し、精一杯生きた娘の存在を広げる為、本を出版し続けています。本が映画化され、出版のかたわら映画の上映、講演をしながら、亜紀子と共に悲しみに連れ添って生きています。
当時、娘を亡くした悲しみのあまり、「神様のご計画は最大のミス」とまで言ってはばからなかった彼が、最近の心境を語っています。
「この二十二年間の私の仕事は意志をもってやってきたことだが、次々と待ち構えていたかのように『与えられてきた』ものである。私の知恵では計り知れない事が多かった。これは神様がご計画された事としか思えないほど不思議な力は動いていた」と振り返っています。
三月十二日は、彼女の二十二回目の命日でした。五人の級友が訪ねてくれました。彼女たちは子供を連れ、立派な母親になっております。改めて二十二年の歳月は少しずつ人をも変えていくものかと、感慨深いものがあり、感謝して一日を過ごすことが出来ました。
祈り
在天の父なる神様
きょうはこうして東支区祈祷会の集いの中で証しを許され、兄弟姉妹の前で語る喜びを戴き感謝でございます。
私はあなたから素晴らしい子供を授けていただきました。その娘の死によって、私はあなたの栄光をしっかりと見ることが出来、あなたの存在を確かなものとさせていただき、大いなる御祝福と救いを戴く事が出来、感謝でございます。
しかし、夫は二十二年間、悲しみと共に生きてきました。
早くこの悲しみをあなたによって喜びに変えられて、夫婦共に娘の待つ天国へと希望を持って目指す信仰を一日も早くお与えください。願わくば二人の子供たち、その家族の上にもあなたのよき訪れがありますように。
主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
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