「キリストは生まれた」
新約聖書 ルカによる福音書2章8-21節
何のためにイエス様は生まれたか
 今年もこうして、クリスマス・ツリーや、アドベント・クランツなど、クリスマスの喜びをいっぱいに装った教会の中で、みなさんと一緒にイブの礼拝を過ごせます幸せを、今、心から神様に感謝をしています。

 今日、教会にいらっしゃった皆さんには申し上げるまでもありませんけれども、クリスマスは神の御子イエス様が世にお生まれくださったことをお祝いする日であります。では、イエス様は何のためにこの世に来てくださったのでしょうか。聖書の中にはイエス様のお働きと教えを記した『福音書』と呼ばれる四つの書物があります。『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』、『ヨハネによる福音書』であります。それぞれの福音書の中から、イエス様ご自身が私はこのために世に来たのであると仰っている言葉を拾い上げて、皆さんにご紹介してみたいと思います。

 『マタイによる福音書』の中ではこのように言われています。

 「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(9章13節)

 正しい人は当然神の招きを受けるに違いありません。しかし、イエス様は招かれるはずのない罪人まで神様のもとに招こうとして、世にお越しくださったのだというのであります。そうしますと、クリスマスは、私たちが神の招きを受けた日であると言ってもいいのではないでしょうか。

 次に、『マルコによる福音書』ではこのように言われています。

 「人の子は仕えられるためではなく、仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(10章45節)

 イエス様は神の御子でいらっしゃいますから、当然人々から大切され、敬われるべきでありましょう。けれども、イエス様はそんなことを求めるために世にいらしたのではないと仰るのです。私が来たのは、仕えられるためではなく仕えるためであり、自分の命さえ惜しまず与えるためなのだというのであります。だとすれば、クリスマスは私たちが神の献身を受けた日だと言えるのです。

 次は、『ルカによる福音書』です。

 「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」(19章10節)

 失われたものとは、神様を離れてこの世をさ迷い、心に神なく望みなく生きている人々でありましょう。本来ならば、そのような人間が本心に立ち帰って、神様を捜し求め、神様のもとに帰って行かなければならないのです。しかし、イエス様はそんなことは待っていられないというのでありましょうか、自らこの世に来て失われた子たちを捜し求め、見いだし、神様のもとに連れ帰るために、世に来てくださったのだと仰ったのであります。そうすると、クリスマスは何の日でありましょうか。私たちが神様に見いだされた日ということができるのではありませんでしょうか。

 最後に『ヨハネによる福音書』を見てみましょう。こう書いてあります。

 「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」(10章10節)

 イエス様がいらっしゃったのは、私たちの良き羊飼いとなって、私たちの魂を青草の原に導き、水辺に伴い、また多くの危険から保護するためであると言われています。このように、イエス様は私たち一人一人を愛し、生かし、救うために、そのために僕の姿となり、命さえ投げ出す方となって、世に来てくださったのであります。そうしますと、クリスマスは、私たちが人生の主、魂の保護者である良き羊飼いを得た日だということができます。

 クリスマスとは、私たちになんと大きな喜びの日でありましょうか。 
もし、イエス様が生まれなかったら
 クリスマスを迎えるときに、私がよく思い起こす話があります。どこで、誰に聞いたのか、もはや記憶も定かでないのですが、だいたいこんなような話です。

 ある牧師が、クリスマスの朝、書斎で短い眠りに落ちました。そして、イエス様がお生まれにならなかった世界の夢を見たというのです。

 夢の中で、彼は家中を見回しました。彼の家には、イエス様のご降誕を祝うクリスマス・ツリーや、リースや、キャンドルや、クリスマスの鐘などが賑々しく飾られているはずでしたが、それがどこにも、何一つありませんでした。また教会の信徒や、たくさんの友人たちが送ってくれた美しいクリスマス・カードも壁一面に飾られているはずでしたが、それが一枚残らず消えていました。彼は、子ども部屋に行ってみました。そこには、サンタクロースのプレゼントを待つ子供たちが、靴下をさげて寝ているはずでした。しかし、靴下もなければ、サンタクロースのプレゼントもありませんでした。

 彼は、家の外に出て、町を歩いてみました。町中がすっかりクリスマスのことを忘れてしまったかのように静まりかえっていました。しかも、どこを探しても、教会もなければ、十字架もないのです。頭が混乱してきた彼は、もっと落ち着いてこの不思議な出来事を考えようと、家に帰り、書斎の椅子に腰掛けました。すると、イエス様に関するあらゆる書物が書斎から消えてなくなっていることに気づいたのでした。

 その時、ドアのベルがけたたましく鳴り響きました。ドアを開けてみると、そこには貧しい身なりをした男の子が泣きじゃくって立っていました。「死にかかっているお母さんのために祈ってください」と、男の子は彼に訴えました。彼は急いで身支度をし、男の子の家に行きました。そして、重い病いに伏せっているお母さんの枕元に座ると、「神様の慰めと希望の言葉を聞きましょう」と、いつものように優しく励ますように語りました。ところが、聖書を手に取ってみると、なんとその聖書は旧約聖書しかなく、イエス・キリストの福音書も、使徒の教えも、黙示録もないのでした。彼は、イエス様が約束してくださった罪の赦しも、天国について語られている希望も語ることができず、ただただオロオロとして、絶望と恐れの中にある親子と一緒に、病を嘆き悲しみ、肉体の死を恐れて泣くことしかできませんでした。

 その二日、彼はそのお母さんのお葬式をすることになりました。しかし、その時も、彼は、彼女の罪の赦しを語ることができませんでした。復活の希望についても語ることができませんでした。貧しい人々が豊かにされ、低い人々が高められ、重荷を負った人が安らぎを得る天国についても、まったく語ることができませんでした。そして、福音書も使徒の教えも黙示録も消えてしまった聖書を開き、「土から生まれた者は土に帰る」と語り、彼女を悲しみつつ埋葬したのでした。

 家に帰ると、この牧師はついに「キリストは来なかったのだ」ということを認めざるを得ませんでした。そして、悲しいその夢の中で、子どものように泣きじゃくったのです。

 その時、彼はやっとこの恐ろしい夢から目覚めました。彼は家の中を見回しました。部屋の中にはクリスマス・ツリーが賑やかにも喜ばしく飾り付けられていました。壁一面には、友人たちの祝福の言葉が記されたたくさんのクリスマス・カードが貼り付けてありました。やがて近くの教会から、クリスマスを喜び歌う歌声が聞こえてきました。牧師は、聖書を手に取りました。そこには、イエス様の御業を伝える福音書があり、使徒の教えがあり、天国への希望に満ちた黙示録がありました。そして、彼の目に次の御言葉が飛び込んできました。

 「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」

 この天使のこの御告げの中には、どれほど深い喜びと慰めが語られていることでしょうか。どれほど大きな愛と恵みが語られていることでしょうか。そして、今それが自分に与えられているということを悟り、牧師は今までにない大きな、そして深いクリスマスの喜びを味わったのでした。
キリストは生まれた!
 しかし、私たちは今日、こうしてクリスマスを喜び祝っています。それは多くの喜びの中の一つの喜びを喜んでいるのではありません。私たちの人生に多くの喜びをもたらすところの大いなる喜び、喜びの源なる喜びを喜んでいるのです。

 「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」

 イエス様がお生まれになったということは、この世界が、そして私たちの人生が、もはや恐れる必要がなくなったということを意味しています。もちろん、この世界にも、私たちの人生にも、未解決の多くの問題があります。そのために、さらになお祈りや努力が必要でありましょう。しかし、恐れたり、不安になったり、絶望することはありません。この世界は、もはや神なき望みなき世界ではないのです。イエス様がこの世界にはいらっしゃってくださったからです。

 「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」

 イエス様は私たちの救い主です。私たちが神に見いだされ、招かれ、結ばれて、再び命を得るために、イエス様は世においでくださったのです。今、私たちが今どんな暗闇に中にあろうとも、イエス様を信じ、イエス様を心にお受けするならば、イエス様は私たちの心の中に、そして人生の中に生きる方となって、私たちにその喜びを経験させてくださるのです。

 キリストが生まれた! どうか、今宵、このことの意味を、恵みを、皆さんのものとしていただきたいと願います。
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