天地創造 63
「神の契約A 〜人間と大地〜」
Jesus, Lover Of My Soul
旧約聖書 創世記 第9章1〜17節
新約聖書 ペトロの手紙二 3章1〜13節
人間と大地の関係
 大洪水のあと、神様は、ノアとその子孫との間に契約を結ばれました。ノアの子孫とは、洪水後の人類すべてです。まず9章1節で、《ノアと彼の息子たちを祝福して言われた。》とあり、次に9章9節で、《わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。》とあります。ですから、これは正確には「祝福と契約」と言うべきですが、いずれにしても、ノアとその子孫たち、もっといえばこの世界に対しての、神様からの一方的な贈り物として与えられたものです。祝福と契約に、大きな違いがあるとは思えません。祝福を補強するような形で、契約があるのです。つまり、ノアとその子孫たちが、地の続く限り、神様の恵みのうちに置かれるということが、ここで語られています。

 内容的には二つのことがあります。ひとつは人間と大地の関係について、もう一つは、肉食の許可をふくむ人間と動物の関係についてです。今日は、人間と大地の関係についてお話しまして、次回、肉食の許可ふくむ人間と動物の関係についてお話しをさせていただきたいと思います。

 第一のことは、人間と大地の関係についてです。神様は、人間も、動物も、大地も、二度と滅ぼし尽くすことはしないと、おっしゃって下さいました。8章21節には、神様がご自身に対して立てられた誓いの言葉として、こう記されています。

 人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。

 また、9章11節では、人間と動物たちに対する契約として、神様はこのように言われました。

 わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。

 神様は、ノアの時代に到来したような、あらゆる生き物をことごとく打つような規模の洪水は、二度と起こさないと約束してくださいました。洪水とは、前にお話ししましたように、神様が定めて下さった境界線が決壊して起こるカオスです。地球の歴史、人間の歴史、また私たちの人生には、しばしばこのようなカオスが起こります。しかし、それは限定的なものであり、決して地球規模のものではないのです。

 脳と心の関係についての探求をしておられる茂木健一郎さんという方がおられます。テレビや週刊誌などマスメディアで積極的に活躍しておられまして、ご存知の方も多いのではないかと思いますが、最近、この方の書かれたエッセイ集を読んでみましたら、それがとっても面白いのです。その中に、広島の平和記念館を訪ねたときのことが書いてありました。茂木さんは、アメリカ軍が撮影した原爆投下前と投下後の広島の航空写真をじっと見比べているうちに、ある発見をします。

 痛ましい思いを抱いて、二つの写真を見比べているうちに、はっと気づいたことがある。あれほどの被害をもたらした巨大な爆発であったにもかかわらず、地球そのものはほとんど傷を受けていないのである。中島地区の左右を流れる元安川、本川の流れも、それに挟まれた中島地区の地形も、投下を受けても何も変わっていない。あたかも、春風が吹き過ぎただけのように、大地には傷一つ付いていない。地表に住む人間たちが受けた酷たらしい被害に比べて、地球そのものは何の変化も受けてはいなかったのである。(中略)地球にとっては、アメリカ大統領が投下を命じた原爆など、「春風そより」に過ぎなかったのである。(茂木健一郎、『今、ここからすべての場所へ』、筑摩書房)

 なるほど、人間にとって、原爆は春風どころの騒ぎではありませんでした。たった一発の爆弾で、広島市街は壊滅的な打撃を受け、ほとんどの建物がなぎ倒され、熱で、爆風で、放射線で、たくさんの犠牲者が出したのです。それは、さながら地獄絵を見るかのような様であったと言います。65年が経った今も、それは苦しみであり続けています。わたしも、広島の平和記念館に行きましたが、その悲惨さに言葉を失うような経験をしました。茂木さんがいいたのは、そんなことは「春風そより」に過ぎないのだということではありません。このような人間の愚かさ、脆さを、びくりともしないで受けとめて、なお人間の営みを支え続けている地球の確かさに対する驚きが、ここで語られているのです。

 茂木さんのこの文章を読みまして、わたしは、大洪水のあとの神様の約束を思い起こしました。8章22節で、こうおっしゃいました。

 地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも
 寒さも暑さも、夏も冬も
 昼も夜も、やむことはない。


 ここには、《人に対して大地を呪うことは二度とすまい》とは、大地が、もっといえば地球が、人間の生活をやむことなく支え続けるということが、約束されているのです。

 実は、今まであまり触れてきませんでしたが、この天地創造の物語には、人間と大地の深い関係が、ところどころに語られています。人間が土の塵で造られたということ、これは人間と大地には切っても切れない縁があるということを物語っています(創世記 第2章7節)。そして、神様は、大地から植物を生え出でさせ、人間に食糧としてお与えになります(同上 第2章9節)。他方、人間は、大地を耕し、守る者であったと言われるのです(同上 第2章15節)。

 ところが、人間が神様に罪を犯すことによって、人間と大地の関係に亀裂が入ります。土は呪われるものとなり、野の草を食べようとする人間に対して、いばらやアザミを生え出でさせるものとなりました。それゆえ、人間はたいへん苦労して、大地から食糧を得なくてはならなくなるのです(同上 第3章17〜18節)。また、カインとアベルの献げ物においても、カインは土の実りを神様にもってきますが、顧みられなかったとあります。このことも、人間と大地の関係から読み解くこともできるだろうと思うのです。そして、弟アベルを殺してしまったカインは、《土を耕しても、土はもはやお前のために作物を生み出すことはない》(同上 第4章12節)と言われ、地の上をさすらう者となりました。

 こうしてノアの時代に、大洪水に起こます。ここにも、人間と大地との関係がありまして、第7章17節に、《箱舟は大地を離れて浮かんだ》とあります。つまり、大地と人間を完全に切り離すもの、それが大洪水だったのです。このように、天地創造からノアの大洪水までの物語は、人間が、罪のゆえに大地から切り離されていく歴史として読むことができるのです。

 ところが、大洪水が終息し、ノアたちが大地との再会を果たしますと、神様は、《地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも、 寒さも暑さも、夏も冬も、昼も夜も、やむことはない。》とおっしゃって下さいました。アダムとエバの楽園追放以来、呪われ続けてきた人間と大地の関係が、ここで一遍に修復されたのです。しかも、それは、たとえ人間が罪深い者であったとしても、大地は人間に食物を与え続けるという、これまでない力強さをもって、語られたのでした。
昼も夜も、夏も冬も
 ところで、《地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも、 寒さも暑さも、夏も冬も、昼も夜も、やむことはない。》という、神様のみ言葉は、もう少し拡大解釈をして受けとめることもできると思います。わたしは、この言葉を読みますと、詩編第74編16〜17節のみ言葉を思い起こさせられるのです。

 あなたは、太陽と光を放つ物を備えられました。
 昼はあなたのもの、そして夜もあなたのものです。
 あなたは、地の境をことごとく定められました。
 夏と冬を造られたのもあなたです。


 昼だけではなく暗い夜も、夏だけではなく厳しい冬も、神様のものであり、神様が恵みとして私たちにお与えくださっているのだということです。

 「お天気」という言葉は、もともと天の気分、つまり神々の気分、気まぐれという意味からきているそうです。今は、だいぶ天気予報の技術も進歩して参りましたが、それでもしばしば外れます。今年の冬、日本各地で、こんなに大雪になるということは、どこの天気予報でも予想できなかったことでした。お天気というのは、人間にはままならぬものであり、恵みをもたらすかと思えば、突然荒れ狂って災いをもたらす。それを神様の気分、あるいは気まぐれと理解したのでありましょう。

 しかし、そんな風に気まぐれに見えることも、実は人知を超えた神様の慈しみであるというのが、聖書の信仰です。私たちの人生にも、暗い夜があり、冬があり、嵐があります。しかし、それもまた、神様の慈しみとして私たちに与えられているものなのです。

 夜や、冬や、嵐が、そのような暗さや苦しみが、いったどんな恵みを私たちにもたらすのかということは、分かりません。しかし、そういうものがなければいいと、私たちは本当に言い切れるでしょうか。昼や、夏や、青空がもたらすものとは、またちがったものが、夜や、冬や、嵐のなかで与えられるのです。そう信じてもいいのです。神様は、どんなに人間が罪深い者であろうとも、人間と共にあろうと決意してくださった御方です。そして、産めよ、増えよ、地に満ちよ、と言われる御方です。この神様の恵み深さに、自分の運命を委ねて、昼も夜も、夏も冬も、神様を讃美して生きることが、信仰者の生き方なのです。
地の続く限り
  最後に、《地の続く限り》というみ言葉にも、注意を払いたいと思います。神様は、人間と大地とを和解させ、《地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも、 寒さも暑さも、夏も冬も、昼も夜も、やむことはない。》とおっしゃいました。

 《地の続く限り》とは、永遠という意味ではありません。いつか、終わりが来るのです。その時には、それこそ昼も夜もなくなるような、たいへんな苦難がやってくると、イエス様もおっしゃっておられます。ヨハネの黙示録などを見ますと、人間の三分の一が殺されるということも書いてあります(第9章18節)。ほんとうにおそろしいことであります。ペトロは、ノアの時代の洪水の話に触れて、こう語っています。

 当時の世界は、その水によって洪水に押し流されて滅んでしまいました。しかし、現在の天と地とは、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取っておかれ、不信心な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで、そのままにしておかれるのです。(ペトロの手紙二 第3章6〜7節)

 このように、神様がノアとその子孫にされた契約は、終末における苦難を否定するものではありません。別の言い方をすれば、この世は天国ではないということです。

 しかし、神なき地獄でもありません。たとえ、この世がどんなに地獄に見えたとしても、神様は私たちと、そしてこの世界と共にいてくださいます。神様が、大洪水のあとで、そういう決意をしてくださったからです。

 ペトロは、神様は《一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです》(同上 第3章9節)と言っています。そして、《わたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです》(同上 第3章13節)と言っています。この世で生きることの目的は、この世の天国を見ることではなく、新しい天と地を見ることにあるのだということです。そこに向かう私たちの歩みを、神様は《地の続く限り》、守り、支えてくださる。この約束を信じ、互いに励まし合い、祈り合いながら、世の旅路を歩んで参りましょう。
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(c)日本聖書協会
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