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『エステル記』は、ペルシア帝国に生きるひとりの薄幸なユダヤ人少女が、数奇な運命を辿ってペルシアの王妃様になったという物語です。まるで聖書版シンデレラと言ったところですが、それは必ずしも彼女にとって幸せな事だったとは言えません。
確かに、物質的には贅沢な暮らしを手に入れることはできたでしょう。しかし、そこには家庭の団らんがあるわけでもなく、夫とはいえ王様の許可がなくてはお目通りも適わないという、まるで籠の中の鳥のような生活を強いられていたのでした。
しかし彼女は、そういう世間並みの幸せには恵まれませんでしたが、より高い意味での幸福を経験したのです。ある人は、「人生の幸福は、困難に出合うことが少ないとか、まったくないということにあるのではなく、むしろあらゆる困難と戦って輝かしい勝利をおさめることにある」と言っています。彼女も、自分の数奇な運命を呪うのではなく、むしろその中に神の御心があることを信じ、自分の運命と心中するような生き方をして、同胞であるユダヤ民族を救うという大役を果たしたのでした。
自分の人生に何があるとか、何がないとか、そういうことではなく、どのような人生であっても、それを神様に与えられた自分の人生として真剣に生きる時、人は幸せになれるのだということを、彼女の人生は物語っているように思います。
彼女の名はハダサ、またの名をエステルと言います。
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ハダサというのは彼女のユダヤ人名で、エステルはペルシア名でした。二つの名前を使い分けて生きていたのは、実は彼女が強制連行されたユダヤ人の子孫だったからです。かつてユダヤの国はバビロンとの戦争に敗れ、亡国の憂き目に遭い、多くの人々がバビロンや他の町々に強制連行されたのでした(バビロン補囚)。
その後、ペルシア帝国が台頭し、バビロン帝国が滅ぼされると、強制連行されたユダヤ人は解放され、国を再建することがゆるされました。しかし、そうなっても異国の地に留まり続けなければならなかったユダヤ人も大勢いたのです。
それは、ちょうど在日韓国・朝鮮人の立場に似ています。彼らは日本が朝鮮を植民地支配していた時代に日本に渡ってきた人たちとその子孫です。1945年の敗戦時、230万人を越える朝鮮人がいました。戦争が終わり、朝鮮は独立し、多くの人たちが祖国朝鮮に帰りましたが、いろいろな事情で帰ることができなかった人も1947年の時点で53万人いたといいます。
在日韓国・朝鮮人の方々は、国籍や差別の問題で不遇な生活を強いられてきました。それはペルシアに住むユダヤ人も同じだったようです。『エステル記』は、そのような差別と迫害の中を生きるユダヤ人の苦悩をよく描き出しています。ハダサも自分がユダヤ人であることをひた隠しにして生きていました。彼女に「エステル」というペルシア名があるのもそのためなのです。 |
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しかし、「エステル」という名前も、実はたいへん素晴らしい名前です。「エステル」とは、ペルシア語で「星」という意味なのです。聖書で「星」と言えば、真っ先に思い起こすのがクリスマスの星です。それから、旧約聖書では、「あなたの子孫はこの星の数のようになるであろう」と言われて、アブラハムが仰いだ星もあります。
星は、たとえ小さくても暗い夜の輝いている存在なのです。その星を見て、アブラハムは神様の約束を改めて信じました。東方の博士たちは、キリストのもとへと導かれました。「神も仏もあるものか」といいたくなる真っ暗な歴史、人生であっても、実は決して真っ暗ではなく、天を仰いでみれば神様の恵みや導きを示す「星」が輝いているものなのです。
『エステル記』は、そのような暗闇の中に輝く希望の物語でもあります。不思議なことに、この書には一度も神様が登場しません。ユダヤ人の救いと言っても、『出エジプト記』のような神の奇跡的救出劇でもありません。しかし表に出てこないだけで、私たちはこの物語のあちらこちらに神様の御業が見え隠れしていることを深く考えさせられるでしょう。『エステル記』とはそういう物語なのです。
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聖書 新共同訳: |
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible
Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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