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「役に立たない医者」とは、ヨブが見舞いに来てくれた友人たちに向かって投げかけた言葉です。
「あなたたちは皆、偽りの薬を塗る
役に立たない医者だ。」(ヨブ記13章4節)
どうしてこんな酷いことを言ったのでしょうか。それは友人たちがヨブの苦しみの深さを十分に分かってあげることができなかったからです。それゆえ、ヨブは友人たちの叱咤激励の言葉に苛立ちます。問題はそんな簡単ではないだ! 私の問題はもっと深いところにあるのだ! ヨブは友人たちの理解の浅さに余計に苦しむのです。
さて、今日のところではまさに王妃エステルがこの役に立たない医者になってしまっています。
「モルデカイは事の一部始終を知ると、衣服を裂き、粗布をまとって灰をかぶり、都の中に出て行き、苦悩に満ちた叫び声をあげた。更に彼は王宮の門の前まで来たが、粗布をまとって門に入ることは禁じられていた。勅書が届いた所では、どの州でもユダヤ人の間に大きな嘆きが起こった。多くの者が粗布をまとい、灰の中に座って断食し、涙を流し、悲嘆にくれた。」(1-3節)
死の宣告を受けたユダヤ人たちは、それを神の審判として受け止めました。「粗布をまとり、灰の中に座って断食し」とは、ただ悲しみを表すだけではなく、神様に対する深い悔い改めをも意味するのです。このように我が身に降りかかった災難や苦難の中に、神様がなお働いておられることを認めて、それを厳粛に受け止めることは大切さです。
エステルの養父モルデカイも、お城の門のところで、衣服を裂き、粗布をまとい、灰をかぶり、大声で嘆いておりました。ところが、それを知ったエステルは、「まあ、可愛そうに」と言って、見苦しい粗末な衣装を脱がせ、綺麗な衣服に着替えさせようとしたというのです。
「女官と宦官が来て、このことを王妃エステルに告げたので、彼女は非常に驚き、粗布を脱がせようとしてモルデカイに衣服を届けた。しかし、モルデカイはそれを受け取ろうとしなかった。」(4)
モルデカイがその衣装を受け取らなかったのは当然のことです。死の宣告を受けたのに、どうして着物を取り替えることで安らぎを得られましょうか? エステルは「役に立たない医者」のように、モルデカイの苦しみをさっぱり理解せず、偽りの薬を渡そうとしているのです。
「粗布を脱がせようとしてモルデカイに衣服を届けた」というのは、私達もそのように隣人の問題を安易に受け取って、表面的に解決ばかりを与えようとしていないかどうか、よく考えなければならない御言葉だと思います。
たとえば悲しみに沈みこんで家に閉じこもってしまっている人がいます。それを可愛そうに思った人が、「閉じこもってばかりいてはよくありません。さあ、街に出て一緒に食事に行きましょう。買い物もしましょう。きっと気が晴れますよ」と誘い出しても、それはまったく意味がありません。閉じこもっているのはよくないとしても、無理矢理外に連れ出せば解決する問題ではないからです。そんなことをされた日には、その人は「やはり誰も私の気持ちを分かってくれないのだ」と、ますます孤独に陥り、閉じこもってしまうことでしょう。
「粗布」という表面的なことばかりを気の毒に思っているから、「新しい洋服を着せてあげよう」とか、「外に連れ出してあげよう」とか、そういう表面的な問題解決だけを与えようとしてしまうのです。粗布の下にあるその人の悲しみや悩みを汲み取ろうとしないでは、決して善き隣人になることはできません。たとえ善意であっても、無理解は人を苦しめ、孤独に陥らせる結果になるのです。 |
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エステルは、モルデカイが粗布を脱がず、エステルが届けた衣服を受け取らなかったことにショックを受けたかもしれません。しかし、すぐに自分の思いが足りなかったと考え直し、なぜモルデカイが粗布をまとっているのか、いったい何があったのかを聞かせるために忠臣ハタクをモルデカイのもとに行かせることにしました。
「そこでエステルはハタクを呼んでモルデカイのもとに遣わし、何事があったのか、なぜこのようなことをするのかを知ろうとした。」(5節)
これが正解です。悲しみの粗布をまとっている人には、まず訳を聞くということが何よりも大切なのです。
見舞いに来てくれた友達を「役に立たない医者」だと言ったヨブは、そのあとこのように続けています。
「どうか黙ってくれ
黙ることがあなたたちの知恵を示す。
わたしの議論を聞き
この唇の訴えに耳を傾けてくれ。」
(ヨブ記13章5-6節)
自分の深い苦しみを分かってもいないのに、外野からあれこれ分かったようなことを言わないでくれ。黙って私の訴えを聞き、私を理解してほしいのだ。そうすれば、私は本当にすばらしい、知恵のある友達をもったと慰められるのに・・・。ヨブはそのように訴えているのです。
別の箇所でヨブはこんなことも言っています。
「わたしが言ったことがあろうか
『頼む、わたしのために
あなたたちの財産を割いて
苦しめる者の手から救い出し
暴虐な者の手からわたしを贖ってくれ』と。」
(ヨブ記6章22-23節)
ヨブが友人たちに求めているのは、病気を直してくれることでもなければ、失った財産を取り戻してくれることでもありませんでした。ただ、本当に自分のことを分かろうとしてくれる隣人になってくれることだったのです。そして、それはモルデカイがエステルに求めていることでもありました。
モルデカイは、エステルが衣服を届けてきた時はまったく相手にしませんでしたが、忠臣ハタクが遣わされてくると、彼は一気に自分の気持ちを語り出します。
「ハタクは王宮の門の前の広場にいるモルデカイのもとに行った。モルデカイは事の一部始終、すなわちユダヤ人を絶滅して銀貨を国庫に払い込む、とハマンが言ったことについて詳しく語った。彼はスサで公示されたユダヤ人絶滅の触れ書きの写しを託し、これをエステルに見せて説明するように頼んだ。同時に、彼女自身が王のもとに行って、自分の民族のために寛大な処置を求め、嘆願するように伝言させた。」(7-8節)
モルデカイは、自分だけではなくユダヤ人同胞がどれほど深刻な立場に置かれているかについて一部始終を伝えました。そして、今、私達の救えるのはエステルしかいないのだと訴えたのでした。 |
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このような話は誰にでもできることではありません。本当は誰にも聞かれないところで、モルデカイとエステルがこっそりと交わすべき話しなのです。しかし、立場上や状況によってそれができないとなれば、本当に信頼できる人物が間に立ってくれなければなりません。そこで選ばれたのがハタクなのでした。
「ハタクは王に仕える宦官で、王妃のもとに遣わされて彼女に仕えていた。」(5節)
ハタクは、特に選ばれて王妃のことを任せられるほどに王様からの信頼も厚く、エステルも、このハタクを深く信頼していたと言われます。特にプライベートなことについて口が堅い人物だったのではないかと思います。モルデカイも、ハタクがそういう人物だと認めたから、大切なことを話したのです。
善き隣人となるためには聞く者になることが大事だといいましたが、もう一つ大事なことは聞いたことを誰にも漏らさないということです。
人の心のうちを聞くということは、自分の心にも重たいものを受け取ることになりますから、今度は自分が耐えきれない思いになってしまうことがあるのです。だから、つい「あなただけに話すけど・・・」と漏らしたくなってしまいます。しかし、隣人になるということはそもそも他人の重荷を一緒に負うということですから、聞くからにはそれなりの覚悟をもって聞かなくてはならないのだと思います。
忠臣ハタクが登場するのはエステル記のここだけですが、私は、彼がモルデカイとエステルの架け橋となった隠れた重要人物であるような気がしてなりません。 |
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聖書 新共同訳: |
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible
Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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