エステル物語 11
「滑りやすい道」
Jesus, Lover Of My Soul
旧約聖書 エステル記  6章1-14節
滑りやすい道
 詩編73編17-20節に、このような詩があります。

 「ついに、わたしは神の聖所を訪れ
  彼らの行く末を見分けた
  あなたが滑りやすい道を彼らに対して備え
  彼らを迷いに落とされるのを
  彼らを一瞬のうちに荒廃に落とし
  災難によって滅ぼし尽くされるのを
  わが主よ、あなたが目覚め
  眠りから覚めた人が夢を侮るように
  彼らの偶像を侮られるのを」

 「彼ら」とは欲望の赴くままに生き、神を神とも思わない人たちです。彼らは神を畏れず、傲慢に振る舞い、極悪非道を繰り返し、欲しいものは何でも手に入れて、安穏な生活を楽しんでいる連中です。この詩編の作者は、そのような彼らの生活を見て、大きな誘惑にかられます。「私は真面目に、正直に、信仰深く生きてきたけど、ちっとも良いことはないではないか? 神など忘れて、自分も彼らのように生きた方が幸せになれるのではないだろうか」と思ってしまうのです。

 しかし、「やはり、そうではないと悟った」ということが、上記の詩の中で言われているのです。彼らの道は一見順調で安泰に見えるけれども、実は「滑りやすい道」、つまりどんなに高く上り詰めても一瞬にして奈落の底に落ちてしまうような道なのだということが分かったというのです。

 滑りやすい道! ハマンの人生を言い表す時に、これほど言い得て妙な言い回しはないことでしょう。5章9節で、ハマンは人生で最高の時を味わっています。なにしろ、彼は、王とエステルのプライベートな酒宴に、同僚の大臣たちを差し置いて自分ひとりが招待されるという名誉を得たのです。

 もちろん、すべての人がこのようなことを喜ぶわけではありません。しかし、政治家というのは、このような名誉を受けることを、ことのほか喜ぶ人種のようです。それが直ちに悪いことだとは言えないでしょう。お金に対する欲がなければ実業家にはなれないように、名誉や地位に対する欲がなければ政治家は務まらないのです。国家の政治に関わらず、人が集まるところには大なり小なり政治が生まれます。会社にも、地域社会にも、あるいは教団や教会にもあります。そういうところで活躍をする人々は、多少なりとも地位や名誉に対する欲をもった人のように思います。そういう人だからこそ、その仕事をうまくこなすことができると言えましょう。

 人によってどんな欲を持つかということは違いますが、欲を持つこと自体は人間として自然なことだと言えましょう。イエス様のそのような人間として自然な欲というものを否定なさることはありませんでした。しかし、際限ない欲望に囚われてしまう貪欲に注意するよう戒められました。貪欲に陥ると、人間は際限ない欲望に囚われ、振り回され、神を忘れ、隣人を忘れてしまうからです。このようにがむしゃらに生きて、一時は成功を手にするかもしれません。しかし、それは結局、「滑りやすい道」なのです。

 ハマンは、「翌日も酒宴に出るように」と言われ、うきうきと上機嫌で家に帰ると、取り巻き連中を招いて宴会を開き、「自分のすばらしい財産と大勢の息子について、また王から賜った栄誉、他の大臣や家臣にまさる自分の栄進についても余すことなく語り聞かせた」(5章11節)のです。さらにまた、明日も酒宴に招待されていることを得意げにしゃべりました。けれども、この時を頂点として、ハマンの人生は滑り台を滑り落ちるように急下降していくことになるのです。
絞首台
 得意の絶頂で何も不満がないかのように見えるハマンですが、たった一つ、ハマンの心に苦々しさを感じさせることがありました。それはユダヤ人の門衛、モルデカイが自分に決してへつらわないことです(3章2節、5章9節)。しかし、それが何ほどのことでしょうか。冷静に考えれば、門衛の一人ごときがへつらわなくても、ハマンの威勢をそぐようなことは何もないはずです。ところが、ハマンはまるで自分の全存在が否定されているような苦々しさを彼によって味わっていたのでした。これを理解するためには、ハマンはモルデカイに悩まされていたのではなく、自分自身の際限なき欲望(貪欲)によって振り回され、悩まされていたのだと考える必要があります。

 しかし、ハマンの妻と取り巻きの友人たちは、「そんなことは簡単な問題だ。あなたは王様に非常に大きな影響力を持つのだから、50アンマ(25メートル)の柱を立て、明日の朝にでも王様に進言して、モルデカイを処刑してしまえばいいではないか。そうすれば、きっと明日の酒宴はもっと楽しいものになるでしょう」と言ったのでした。

 彼らは、ハマンの悩みの本質がハマン自身の心の中にあるということを悟りませんでした。ハマンの貪欲や傲慢といった魂の問題を解決しない限り、たとえモルデカイを片付けても、ハマンの心に決して解決しない問題が残ったことでしょう。つまり、モルデカイではなく、ハマンの貪欲を木につるしてしまうことが必要だったのです。
ハマンの落ち目
 一方、「いったい、エステルの願い事は何なのだろうか?」と、王様は、そのことが気になってどうしても眠ることができませんでした。そこで王様は、すぐに眠くなるような本を読もうとするのです。

 「その夜、王は眠れないので、宮廷日誌を持ってこさせ、読み上げさせた」

 宮廷日誌などというのは記録として大事なものですが、決して面白いものではありません。だからこそ睡眠薬代わりになるのです。おそらく、こんな眠れない夜でもなければ王様は宮廷日誌を読み返そうなどとは思わなかったでありましょう。宮廷日誌を読んでいると、王様はあることに気づきました。かつて王様暗殺未遂事件を未然に防いだ功労者モルデカイに何の報償もしていないということです。

 「王の私室の番人である二人の宦官、ビグタンとテレシュが王を倒そうと謀り、これをモルデカイが知らせたという記録があった。そこで王は言った。『このために、どのような栄誉と称賛をモルデカイは受けたのか。』そばに仕える侍従たちは答えた。『何も受けませんでした。』」(3-4節)

 ここには神様の御名は記されていませんが、神様の御業が語られています。一見、偶然としか思えないようなことの中に、神様の御手が確かに働いているということがあるのです。

 その時、宮廷の庭で何か作業が始まった物音がしてきました。こんな夜にいったい何をしているのだろうか。王様は侍従に「庭に誰かいのるか」と聞きます。侍従が見に行くと、ハマンがそこにいました。なんとハマンは、友人が酒の席でいった言葉(5章14節)を本気にして、モルデカイをつるすために五十アンマもある柱を立てていたのです。侍従が報告すると、王様は(これはちょうど良い。モルデカイの報償のことをハマンに相談しよう)と考えます。そして、ハマンを連れてこさせるのです。

 ここにも偶然以上のものを感じます。何度も言うようですが、エステル記には神様という言葉が出てこないのです。それにも関わらず、神様の御業が見えてきます。そして、私たちの一日のいろいろな出来事の中にも、神様がこのように働いてくださっていることを思い起こさせてくれるのです。

 王様はハマンに言いました。

 「王が栄誉を与えることを望む者には、何をすれば良いだろうか」

 ハマンは、心の中でニヤリとします。

 (王様が栄誉を与えたい人物と言ったら、自分しかいない)

 ハマンはそう思い込みました。しかし、王様も、ハマンもまったく意識していませんが、この時すでにハマンの失脚への道が始まっていたのです。そうとも知らず、ハマンは得意になって答えます。

 「王が栄誉を与えることをお望みでしたら、王のお召しになる服を持って来させ、お乗りになる馬、頭に王冠を着けた馬を引いて来させるとよいでしょう。それを貴族で、王の高官である者にゆだね、栄誉を与えることをお望みになる人にその服を着けさせ、都の広場でその人を馬に乗せ、その前で、『王が栄誉を与えることを望む者には、このようなことがなされる』と、触れさせられてはいかがでしょうか。」

 王様は満足してハマンに答えました。

 「それでは早速、わたしの着物と馬を取り、王宮の門に座っているユダヤ人モルデカイに、お前が今言ったとおりにしなさい。お前が今言ったことは何一つおろそかにしてはならない。」

 ハマンは愕然としました。今し方、ハマンはモルデカイをつるすための大きな柱を立てていたのです。そして明日、モルデカイのあることないことを訴えて、モルデカイを木につるすよう王様に進言しようとしていたのです。ところが、そのモルデカイを王冠をつけた馬に乗せ、それをひきながら「王が栄養を与えることを望むものはこのようなことがなされる」と町中に触れ回りながら歩かなくてはならなくなってしまったのです。

 ハマンは、モルデカイの乗る馬をひきました。泣き出さんばかりの声で「王が栄養を与えることを望むものはこのようなことがなされる」と叫びながら・・・

 「ハマンは悲しく頭を覆いながら家路を急いだ」

 彼は滑りやすい道をとうとう転げ落ち始めたのです。家に帰って、彼は自分の悔しい思いを一部始終、妻と取り巻き連中にぶちまけました。きっと、再び良い知恵や慰めを与えてくれると思ったのでしょう。しかし、彼らは冷たくこう言い放ったのです。

「モルデカイはユダヤ人の血筋の者で、その前で落ち目になりだしたら、あなたにはもう勝ち目はなく、あなたはその前でただ落ちぶれるだけです。」
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