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誰もが幸せになりたいという願いをもっています。「自分は幸せになれない」と、諦めてしまった人もいるかもしれません。しかし、はじめからそうではなかったはずです。それならば、どうして幸せになることを諦めざるを得なかったのでしょうか?
アラン(1868-1951)というフランスの哲学者がこうことを言っています。
「自分でやること、人にやってもらうのではない。そこにはよろこびのいちばん深い意味がある。ところが砂糖菓子は何もしないでも溶けて美味しいものだから、多くの人はそれと同じように、しあわせも味わえるだろうと思うから、だまされてしまうのである」(『幸福論』、「47 アリストテレス」、神谷幹夫訳、岩波文庫より)
幸せを求める生き方には、人に幸せにしてもらおうとする生き方と、自分から進んで幸せを造り出そうとする生き方とがあります。人に幸せにしてもらおうとする生き方とは、おいしいお菓子を食べたいときに、お店に行って砂糖菓子を買い求めるような生き方です。砂糖菓子は口の中入れれば甘くて美味しい。けれどもだんだんと舌が肥えてくると、このお店よりもあのお店の方がおいしいと、よりおいしい砂糖菓子を求めて彷徨うことになります。その行き着く先は、砂糖菓子の評論家です。どこそこのお菓子は見栄えがいいがこれが足りない、あれが足りない。どこそこのお菓子は確かにおいしいが、高すぎて手が出ない。どこそこのお菓子は評判はいいが、わたしの口には合わない。もっとこうすべきだ、ああすべきだ・・・評論家は、決して満足しないのです。
出来合いの幸せを人から受けようとしている人も同じです。「・・・してもらえない」、「・・・が足りない」、「・・・が悪い」、「・・・してくれなくては困る」、「・・・我慢させられている」、「・・・をやらされている」。自分が幸せでないことを、他人や、会社や、世の中のせいにして、人になんとかしてもらおうということばかり考えるのです。
では、王様のように、何もかも自分のためにしてくれる人がいたら幸せになれるのでしょうか?そんなことはありません。自分で何もすることがなくなった王さまは退屈に陥るだけなのです。
「老いた王さまが家来たちとトランプ遊びをするとしよう。王さまは負ければ怒るし、家来たちもそのことをよく知っている。だから、家来たちが遊びのこつを覚えてしまえば、王さまは絶対負けない。その結果を見たまえ。王さまはトランプを放り投げてしまう。立ちあがって、馬に乗る。狩りに出かける。しかし、王さまの狩りである。獲物の方が王さまの足もとにかけ込んでくる。ノロジカもまた宮廷人なのだ。・・・王さまには欲しいなと思っている暇など与えられないのだ。まわりの注意深い目が王さまの心をすばやく読んでしまう。」(『幸福論』、「46 王さまは退屈する」、神谷幹夫訳、岩波文庫より)
要するに、誰かにしてもらうという受動的な幸福を求めている人は、満たされなければ腹立たしくなり、満たされたら退屈し、結局、幸せにはなれないのです。アランは言います。
「幸福はいつもわれわれの手から逃げて行くといわれている。人からもらう幸福については、それは正しい。人からもうら幸福などは、まったく存在しないからだ。しかし、自分でつくる幸福というのはけっしてだまさない。」(同上、「47 アリストテレス」より)
自分でつくる幸福とは、砂糖菓子を食べたいと思ったときに、自分で作ってみようとする人が経験する幸福です。最初はお店で売っているようなお菓子ができるとは限りません。それでも面倒な手間を掛けて作ったお菓子は、買ってきたお菓子を食べることとは別の次元の喜びや満足があるのです。不完全でも自分で成し遂げたことの喜び、失敗から学ぶ楽しみ、それを自分の力で克服したときの満悦、さらにおいしいものにチャレンジしてみようとする意欲・・・自分から作ろうとするときには、苦労と共に多くの喜びが生じるのです。
ところが誰でもそうですが、人間は幸せになりたいくせに苦労するのは嫌いなのです。だから、できるだけ安直に、苦労なしに幸福を手に入れたいという考えに陥りやすい。しかし、「何かをさせられている」という受動的な苦労に幸せがないように、「何をしてもらう」という受動的な喜びにも本当の幸せはありません。人間の幸せは、主体的に生きることができるということにあるからです。自ら進んで苦労をするならば、その苦労が自分を豊かにすることを経験します。そして、苦労の実りを自分の収穫として楽しむことができるのです。 |
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とはいえ、現実の人生においては、いつも自分のやりたいことだけができるとは限らないというのが、私たちの知るところでありましょう。健康上の問題、人間関係の問題、経済的な事情、社会情勢などでがんじがらめにされて、本当はこう生きたいのに、それができないということがよくあるのです。
しかし、そういう中にあっても・・・つまり、どんな中にあっても、わたしたちになお残された、自分自身の主体性をもって選び、決断することができる道があります。それが「神を信じる」ということです。どのような状況のなかにあっても、私たちの主体的な生き方の選択として、信仰の道を選び取る決断することができるのです。
信仰を選び取るとは、今自分が生きている現実の中に、神様が生きていらっしゃるということを、実存をかけて信じるということです。迷ったり、考えたりするのではなく、自分の拠り処として神様を信頼し、神様と心中するような気持ちで、神様の愛と真実を信じ、受け入れるのです。
そうすると、私たちはどのような中にあっても、神様の真実に支えられて、自由に生きることができるようになります。この自由とは、何でもできるということではありません。人間としての限界が自ずとあります。鳥のように大空を自由に羽ばたくことはできませんし、魚のように水のなかで生活することはできません。それができないから不自由だ、とは誰も言わないのです。私たちが求めている自由は、鳥になることでもなく、魚になることでもなく、人間が人間らしく生きることができるという自由だからです。
そこで考えなければならないのは、わたしたちひとりひとりにも固有の限界があるということです。神様が与えてくださった命の形はひとりひとり異なります。私には私の固有の命の形がある。それを越えて、別の人間のように生きることはできません。ですから自由とは、無制限に何でもできるということではなく、自分に与えられた命の形を自分らしく生きることができるということなのです。
「自分こうありたい」という願いを持つことがあります。そうなれないことを嘆くことがあります。神様は自分に才能を与えてくれなかったとか、健康を与えてくれなかったとか、家族が悪いとか、社会が悪いとか・・・それは結局、最初に申し上げたような「・・・してもらう」幸福を求めているのです。
そうでななくて、神様がわたしという人間に与えてくださった力や環境のなかで、わたしがわたしらしく生きるということを考えて生きていく。それが自分を自分らしく生かすことです。自分に対する神様の愛と真実を信じるとき、私たちはあれがない、これがないというのではなく、今与えられているもののなかに、自分の生きるべき姿があるということを素直に受け入れることができるようになります。そして、そこからはじめて自分らしい生き方ができるようになるのです。イエス様は「真理はあなたたちを自由にする」と言われましたが、それもこのような意味だと思うのです。
原崎百子さんが書かれた『わが涙よ、わが歌となれ』という病床日記があります。彼女は、肺ガンにかかり43歳という若さで亡くなられました。いまから30年も前の話です。今とは治療技術も違いますから、ほとんどの癌は不治の病でしたし、病気の告知も一般的ではない時代でした。しかし、彼女は牧師である夫から癌の告知を受けます。そして亡くなるまでの約40日の間につづられたのが、この日記です。その最初に、こういうことが書かれています。
今日という日を、つまり「一九七八年六月二十八日」という日を、ここに明記しておきたい。今日は私の長くはない生涯にとって画期的な日となった。私の生涯は今日から始まるのだし、これからが本番なのだ。私は本当に正直そう思っている。
自分の死を見つめる。これからどんどん病気は進行していき、何もできなくなってついに死んでしまう。そういうことを考えますと、自暴自棄に陥る人もありましょう。しかし、原崎百子さんは、この病の中にも自分に対する神様の愛と真実があるということを信じて、癒されたいとかいうことではなく、最後まで神様の愛を信じて、家族や教会の人たちを愛して、自分らしく生きたいということを願うのです。このような魂の自由があれば、私たちはどんな状況においても自分らしく生きることができるのではないでしょうか。
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さて今日は、『ヘブライ人への手紙』11章23-31節ですが、エジプトに奴隷となって使えていたイスラエルの民が出エジプトを果たし、約束に地に帰還し、自分たちの国を築くことができたのは、信仰によることであった、と語られています。もちろん、それは神のなせることでありました。それを敢えてここでは《信仰によって》と語っているのです。なぜなら、信仰とは神様の愛と力を受け取る器のことだからです。神様を信じることによって、私たちの中に神様の愛と力が満ちてくるのです。
信仰によって、モーセは生まれてから三か月間、両親によって隠されました。その子の美しさを見、王の命令を恐れなかったからです。(23)
信仰は恐れを取り去ります。『出エジプト記』第1章を見ますと、エジプトの王ファラオは、国内に増え広がる異邦の民イスラエルを恐れ、彼らを押さえ込みにかかります。最初は苛酷な強制労働によって弾圧を試みます。それが失敗に終わると、すべてのイスラエル人に対して「生まれた男の子はみな、ナイル川に投げ込まなければならない」と命じました。しかし、モーセの両親は、王の命令を恐れず、三ヶ月間モーセを隠し育てたのでした。
その信仰は、《その子の美しさを見》たことによると言われています。《その子の美しさを見》るとは、赤ん坊が可愛かったというだけのことではありません。そこに神様が与えてくださった命の美しさをみて、神を恐れたということです。ファラオを恐れもしたでしょう。しかし、それ以上に神を恐れたのです。その信仰によってモーセの命を救ったです。
信仰によって、モーセは成人したとき、ファラオの王女の子と呼ばれることを拒んで、はかない罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待される方を選び、キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝よりまさる富と考えました。与えられる報いに目を向けていたからです。
両親は、モーセを隠しきれなくなるとパピルスの籠を防水加工し、その中にモーセを入れて、ナイル川の葦の茂みの中に置きました。そこへファラオの王女が水浴びにやってきて、モーセを拾いあげます。モーセは、王女の子としてエジプトの宮廷で育てられるようになりました。しかし、成人したモーセは、自分の同胞であるイスラエル人が虐げられている現実を目の当たりし、エジプトの王女の子として権力や富を持つことよりも、苦難の中にあるイスラエル人と共に歩むことが選びとります。それは楽しみよりも、苦しみに生きることを意味していました。このような選択もまた信仰によるものであったと聖書は語るのです。
《キリストのゆえに受けるあざけり》と語られています。歴史的にいえば、モーセがイエス様を知る由もありません。それでも、モーセの中にはキリストを待ち望む信仰があったといわれているのです。キリストを待ち望む信仰とは、神の愛と救いの御力が私たちの生活や世の中にの中におどろくべき力をもって介入してくるということに対する期待と祈りです。モーセにはこの神の愛と救いを期待することのほうが、エジプトの財宝を守ることよりもはるかに価値あることだったのです。
信仰とは、神に期待することです。人生には様々な岐路がありますが、この神への期待がないと、何も決断することができず、決して満足しているわけではなくても、現状維持に走ってしまうことになります。結局、自由な生き方をそこで失うことになるのです。信仰とは神への期待をもって決断した行動を生む力なのです。
信仰によって、モーセは王の怒りを恐れず、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見ているようにして、耐え忍んでいたからです。
モーセは、イスラエル人を救うためにエジプト人を殺すことになってしまいました。ファラオは怒り、モーセを殺そうとします。それを知ったモーセはエジプトの地を去り、ミディアンの地に潜み住むのでした。これもまた忍耐という信仰のなせることであったと、聖書は語ります。
正直申しますと、出エジプト記2章を読む限り、モーセはファラオを恐れてミディアンに逃げたのではないかと思えます。恐れがないのであれば、正々堂々と王と争うべきではないかとも思うのです。しかし、そのようなことをすれば英雄的ではあるかもしれませんが、モーセの死は確実でありましょう。モーセは、神に期待しつつも、今は時ではないと判断して逃げたのだというのです。そして、信仰によって忍耐の時を過ごしたのだというのです。
信仰によって決断して行動を起こす時もあれば、退いて時を待つこともあるのです。そのどちらに生きるべきかは、頭で考えて分かることではありません。《目に見えない方を見ているようにして》と、聖書は語ります。これは、モーセが神様を個人的に知り、深く親密な関係をもって生きていたということを意味します。人から聞いた話としてではなく、自分自身の体験として神様を知って生きているということです。神様は遠いお方であるともいえますが、信仰はその神様を近くに感じることができる力でもあるのです。
信仰によって、モーセは滅ぼす者が長子たちに手を下すことがないように、過越の食事をし、小羊の血を振りかけました。
これについて出エジプト記12章に詳しい記述があります。時が来て、モーセは再びエジプトに戻り、ファラオとイスラエル人を解放するように交渉します。もちろんファラオは相手にしようとしないのですが、モーセは神様の力を示し、エジプトに九つの禍を下しました。それでもファラオが抵抗したので、神様はエジプト中の初子を打つという恐ろしい禍をエジプトに下したのでした。しかし、その際、神様のみ言葉に従って、鴨居と門柱に屠られた小羊の血が塗られている家の中にいる初子は守られると約束されていました。そのみ言葉を守り、イスラエル人の初子は初子を打つ神の手から守られたというのです。
ここでの信仰は、神様のみ言葉を信頼し、それを守るということでした。小羊の血を鴨居に塗るということが、いかにして救いにかかわっているのか、だれも理解しなかったに違いありません。その意味はイエス・キリストの十字架によって、はじめて明らかにされることだからです。しかし、理解しなくても、み言葉を信頼して、それに従った。それによって神の救いを受け取ったのです。
信仰によって、人々はまるで陸地を通るように紅海を渡りました。同じように渡ろうとしたエジプト人たちは、おぼれて死にました。
ファラオは自分の子供まで神の手によって打たれ、ついにイスラエル人を解放することにしました。こうしてイスラエルの出エジプトが果たされます。ところが、解放の喜びも束の間、イスラエル人が紅海の前でキャンプをしていると、エジプト軍の追撃がしてきたのです。前にも進めず、後にも退けない。そういう状況の中で、彼らは紅海の海の水を二つに分けて道をつくるという驚くべき神の奇跡によって、彼らは前進することができました。他方、同じように海を渡ろうとしたエジプト軍はみな、海の水の呑まれて溺れてしまったのでした。
信仰が奇蹟を起こすのではありません。神が奇蹟を起こすのです。しかし、奇蹟を見るためには信仰が必要です。出エジプト記14章によれば、モーセはエジプト軍を恐れ、絶望してしまったイスラエルの人々にこう呼びかけます。
恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。
目に見えることからくる恐れの感情、不安の感情に騒ぐイスラエル人に「落ち着け」と呼びかけたのです。言葉を換えれば、恐れや不安によって見えなくなっていた神様を、心を静かにしてしっかりと見つめなさいということです。そして、神様への深い信頼の中で、静かに神様のなさることを見守りなさいということなのです。そうすれば、わたしたちが何もできないような窮地にあったとしても、神様が御業を為してくださる。そのような神様の御業を呼び込むのが信仰の力であります。
信仰には、このように恐れを取り除き、正しいことを選びとる知恵を与え、さらに忍耐して待ち望む強い心を与え、そしてみ言葉の通りの救いを手にし、どんな困難な中でも神の奇跡を見ながら生きていく、そのように私たちを生かす力があるのです。この信仰をもってこそ、私たちはあらゆるものから自由にされ、自分が本当に自分らしく生きるための力を得ることができるのです。
最後に、先ほど紹介した原崎百子さんが「教会の皆さまへ」と記した文章の中にある言葉をご紹介したいと思います。
私は日頃、ヨブ記を学びましたり、韓国の闘うキリスト者のことを学びましたりする時に自分が苦しまないでいる、わりと平穏な生活をしてしまっているということに対する、あるうしろめたさがありました。けれども今、このような状況に置かれてみまして、あの平穏な時にコツコツと学び蓄えてきた聖書のみ言が、こういう時に、パッと花が咲くように、私の中で花開き力になるのです。
皆さま、自分の信仰はいざいとう時に役立つだろうかと、ふとお思いになることがあるかもしれませんが、これだけは私は経験者としてはっきり申し上げます。信仰は力になります。ほんとうになります。今コツコツと聖書を勉強なさり、礼拝の生活をしっかりお守りになる。それが、いざという時にほんとうに力になるのです。信仰は言葉ではない、力なのです。いざという時に訳に立つのかしらなどと言わずに、今の学びをどうぞ続けてください。自分でもほんとうに不思議なくらい、主のみ言は私を支える力になっています。
信仰は力になるのです。私たちが平穏な生活をしているならば、それはそれで結構なことです。しかし、そういう時にコツコツとみ言葉を学び、礼拝の生活をしていると、いざというときに本当に自分を支えてくれる力になるだと、原崎さんは証をしています。信仰は財宝に勝る大いなる富なのです。どうか、み言葉を学び、神を礼拝する生活を大事にしてまいりましょう。そして、信仰によって自分の命の形を輝かせ、神様の栄光をあらわすものになりたいと願います |
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