■ やり直せる人生
ナオミはルツと一緒にベツレヘムに帰ってきました。ナオミにとって、それは霊的には「神に帰る道」でありました。しかし、肉的には神に打ち砕かれた痛みと苦しみを背負っての「うつろな帰国」だったのです。
しかし、どんなに打ち砕かれていても、神様のもとに立ち帰るならば、そのことによって癒され、恵みを受け、新しい出発をすることができるようになるのです。「人生はやり直しがきかない」と言いますが、そんなことはありません。誰でも、神様のもとに立ち帰ることによって、もう一度やり直すことができるのです。
■ ルツの存在
ナオミはまったく気づかなかったと思いますが、彼女のうつろな帰国にはすでに新しい生活のための準備が、神様のご配慮によって万端に整えられていました。
その一つがルツの存在です。苦しみと悲しみを共に分かち合うことができるルツの存在は、ナオミにとって大きな慰めでありました。それだけではなく、やがてルツは神の祝福の器となって、ナオミに希望と喜びをもたらすようになるのです。いや、もっと言えばルツはイスラエルに祝福をもたらす器となりました。ルツの曾孫にダビデが生まれるのですから。
■ ちょうどいいタイミング
少し話を急ぎすぎました。ルツの存在の他にも、ナオミの帰国には神様の暖かいご配慮がありました。帰国した「時」が、ちょうど「大麦の刈り入れの始まる頃であった」ということです。だから、二人は「落ち穂拾い」によって糊口をしのぐことができたのです。
「時」というのは大事です。人生を大きく左右することがあります。二人はちょうど「いい時」に帰国しました。これは偶然などではありません。神様の優しきご配慮だったのです。
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