うつろな帰国

出ていくときは、満たされていたわたしを
主はうつろにして帰らせたのです。

旧約聖書 『ルツ記』1章20節

 うつろにされたナオミ

 「出ていくときは、満たされていたわたしを
  主はうつろにして帰らせたのです。」

 「満たされていた」というのは、経済的なこともそうでしょうが、ナオミの心が満たされていたということだと思います。頼もしい夫がいて、愛らしい子供らがいて・・・ナオミは「この家族がいれば、これから先、どんな辛いことがあっても頑張っていける」と思ったに違いありません。しかし、そのナオミの心の支えである家族が失われてしまったのです。

 神の制裁

 私は「わたしは、ねたむ神である」(口語訳 出エジプト記20章5節)という主のお言葉を思い起こします。神様は、ご自分以外のものに満ち足りて、ご自分を離れていくナオミに制裁を加えられたのではないでしょうか。

 神の招き

 しかし、それはナオミを滅ぼすためではありせん。神様は、ナオミのすべてでありたいと願っておられるのです。そのためにナオミをうつろにさせ、ご自身をもってナオミを満たそうとしておられるのです。神様のナオミへの制裁は、神の招きでもあったのです。

 神に打ち負かされた人の幸い

 ナオミのように神様にうち砕かれたとき、へりくだって神様のもとに立ち帰っていく人は幸いです。主に苦しめられたならば、ますます主を遠ざかってしまうのが普通ではないでしょうか。しかし、ナオミは、まったくうつろにされながらも、主のもとに立ち帰ってきたのでした。

 それは楽しいことではないと思います。敗北感に満ちたことである違いありません。しかし、神に打ち負かされた人こそ、まことに神に従う人になるのです。

 「人は自分を打ち負かした者に服従するものです」(2ペトロ2:19)

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