■ ナオミの苦痛
ナオミとルツの二人は、およそ100キロの旅路を二、三日かけて歩き、ベツレヘムにたどり着きました。約10年ぶりの帰郷です。それは懐かしさよりも、惨めさに浸らなければならない辛い帰郷でした。
しかし、10年ぶりにナオミを見かけた人は、「あら、ナオミさんではありませんか。元気?」と懐かしそうに声をかけてきます。
「ご主人はどうしたの?」
「息子さんたちは元気?」
「ご一緒に婦人はどなた?」
「ずいぶん、大変だったのね」
ベツレヘムの人はみな親切でした。そして、ナオミの話を聞くと深く同情をしたことでありましょう。しかし、ナオミはそれが苦痛でなりません。そういう人に会うたびに、自分の愚かさやら、後悔の念やら、夫や息子たちのことやら、そういう事が思い起こされて、とても耐え難い気持ちにさせられるのです。
■ 周囲の人の心の痛み
ナオミは心配してくれる人々に心を開いたり、笑顔を返すことはできませんでした。
「どうかナオミ(快い)などとは呼ばないでくださで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしを酷い目にあわせたのです」
親切心でナオミに声をかけ、同情した人々は、ナオミのこの寂しい言葉をきいて、とても心を痛めたことでしょう。特に信仰深い人にとっては「全能者が・・・」という言葉に不快感さえ覚えたかもしれません。
■ 一人で祈ることが必要な時もある
しかし、それはある意味で、ナオミの信仰が研ぎ澄まされている時でもありました。人間の慰めや励ましではなく、神様が自ら慰め、励ましてくださることを真剣に求めている時なのです。
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