■ 下僕たちを励まし、祝福する主人
「主があなたたちと共におられますように」と、ボアズは何よりも先ず農夫たちに神の祝福を祈りました。そのことから分かるように、ボアズは、決して農夫たちが怠けたり、遊んだりしないように目を光らせに来たのではありません。額に汗して働いている農夫たちを励まし、祝福し、彼らに困ったことがないかどうか気遣うために来たのです。
農夫たちも、すぐさま主人に答えて、「主があなたを祝福してくださるように」と返します。彼らは、この親切で思いやりのある自分たちの主人を愛し、誇りに思い、そのような主人のもとで働くことができることを心から喜んでいたのです。
■ 本当の意味で豊かな人
私は、ボアズは真の意味で豊かな人だったのだと思います。それは、彼が広い農園を持ち、多くの農夫を使う人であったからではありません。人を祝福し、思いやり、気遣うことができる心の豊かさの持ち主であったからです。
どんなに金持ちでも、まだ足りないと思っている人がいます。そのような人は「持っていない人」です。一方、貧しくても人に豊かに与えたり、分かち合ったりできる人がいます。そのような人は、たとえ貧しくても「持っている人」です。真の豊かさは所有の豊かさではありません。人を豊かさにする人こそ、本当に豊かな人なのです。
ボアズは、農夫たちの心や生活を豊かにしました。それゆえ農夫たちはボアズのもとで働くことに誇りを覚え、喜びを感じていました。その結果、ボアズもまた農夫たちから多くのものを、つまり収穫のみならず、尊敬や愛情や信頼などを受け取っていた事でありましょう。
■ 豊かな人と生きよう
イエス様は、「誰でも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまで取り上げられる」(マタイ25:29)と言われました。貧しい人はどこまでも貧しくなるという、イエス様らしからぬ御言葉です。
しかし、神の恵みと救いによってどんなに多くのものを戴いているかを知るならば、私たちはたとえ貧しくとも、決して貧しい人間として生きる必要はないのです。神の愛と恵みを豊かに隣人と分かつ人間として生きる事ができます。その幸せを、イエス様は教えてくださっているのです。
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