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前回は、王様に逆らいお払い箱になった王妃ワシュティに代わって、新しいお后選びが行われたという話でした。ペルシア全土から美しい娘たちが後宮(ハレム)に集められ、そこで一年間の美容の期間を過ごさせられた後、順番に王様のもとに連れて行かれ、娘たちの運命が定められたのでした。
エステルも、このお后候補の中に選ばれ、後宮に連れてこられました。エステルは、選ばれた美人たちの中でもひときわ目立つ存在であり、後宮の監督や女官たちからもたいそう気に入られ、特別に目をかけられて美容の期間を過ごしたと書かれています。 (8-9節後半)。
美容の期間が終わると、エステルにも王様のもとに召される日が来ました。王宮に行くにあたっては、娘たちが持っていきたいと望むものは何でも与えられることになっていたといいます(13節)。この「何でも」というのは、おそらく自分を美しくアピールするための宝飾類のことでしょう。どのように身を飾るのか、それによって自分の運命が決まるのですから、どの娘たちも真剣に考えていたにちがいありません。しかし、エステルは、ただ監督や宦官が勧めるものだけを身につけるだけで、その他は何も求めませんでした。それでもエステルには、誰がみても美しいと思わせる何かがあったと聖書は語っています。
「エステルを見る人は皆、彼女を美しいと思った。」(15節)
美人といっても、日本でも平安時代と現代ではぜんぜん違うのでありまして、時代や地理によって美的感覚は変遷します。ですから、絶対的な美しさというのはありません。たくさんの美人が集まれば、私はこっちが美人だと思う、いや私はあっちだというように、人によって違ってくるということもあるのです。
ところが、エステルは誰がみても美しいと思った、文句なしに美しいと認められたというのです(15節)。このような美しさは、決して姿や形の美しさではなく、心の中から出てくる美しさに違いありません。
美人というのは、「美しい人」ということでありますから、顔立ちが美しいとか、スタイルが美しいだけでは駄目で、美しい人間にならなくてはなりません。美しい心が、美しい人を作るのです。 |
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では、その心の美しさとは何か。それをエステルから学んでみたいと思います。
「モルデカイは、ハダサに両親がいないので、その後見人となっていた。彼女がエステルで、モルデカイにはいとこに当たる。娘は姿も顔立ちも美しかった。両親を亡くしたので、モルデカイは彼女を自分の娘として引き取っていた。」(7節)
エステルは、早くに両親を亡くし、親の愛を知らないで育った孤児でした。エステルの心には、いつもその悲しみや孤独があったことでしょう。その一方で、エステルは従兄弟のモルデカイから大きな愛を受けて育ちました。エステルがお后候補になって後宮につれて行かれると、モルデカイは心配のあまり毎日後宮の庭の前を行ったり、来たりしていたとあることからも、そのエステルの受けた愛情の深さが察せられます(11節)。
つまり、エステルは、一方では親がいないという悲しみと孤独を背負っていながら、他方では本当に良い人に巡り会えて、人の有り難さというとも身に染みて感じている人であったのです。
心の美しさというのは、何一つ不自由のない環境や、苦労のない人生によって培われるものではありません。悲しみや苦しみを通して、悲しみの分かる人間、苦しみが分かる人間と育っていくことが必要なのです。しかし、悲しみや苦しみだけの人生でも心がいじけてしまいます。エステルがいじけた人間にならなかったのは、モルデカイから大きな愛を受けていたからに間違いありません。苦難と慰め、それが人を心の優しい人間にするのです。『コリントの信徒へ手紙二』にはこう記されています。
「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」(1章4節)
このように苦難だけではなく、その慰めをも経験することによって、人の心が豊かなになっていくのです。豊かになるというのは、人に与えることができる人間になるということです。
ところで、自分の人生には苦難はあるけれど、慰めは一つもないという人がいるかもしれません。しかし、聖路加病院の名誉院長である日野原重明氏はこのように言っています。
「人はえてして自分の不幸に過敏なものです。小さな棘が指に刺さったくらいことであっても、自分の不幸となると、その10倍20倍にも痛みを感じます。不幸を実感するのはたやすいのです。では、不幸がなければ幸福なのかと言うと、決してそうではありません。誰しも幸福を望みますが、それを実感することにおいてはきわめて鈍感です」
人間は苦難には過敏だけれど、慰めには鈍感であるというのです。逆に言えば、誰にでも慰めはあるのだけれども、それに気づいていないのだということではないでしょうか。 |
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「 エステルはモルデカイに命じられていたので、自分の属する民族と親元を明かすことをしなかった。モルデカイに養われていたときと同様、その言葉に従っていた。」(20節)
モルデカイは、エステルに対して自分の素性を隠すようにとアドバイスしました。それは、ユダヤ人であることや、孤児であることが、お后選びの不利な条件になると判断したでしょう。そして、エステルはそれに従いました。
しかし、エステルは、お后になりたくてそれに従ったわけではありません。それが親代わりのモルデカイの言葉だからこそ、忠実に従ったのでした。つまりエステルは素性を隠したというよりも、従順によって自分の気持ちを隠したとも言えます。
これも、エステルの心の美しさの一つであったでしょう。素直さ、従順さというのは、他人の心を生かすために、自分の心を抑えることです。極端な言い方をしますと、自分を殺し、他人に命を与えることなのです。
このような奥ゆかしさは、日本人女性の特徴でもありました。しかし、最近はまったく違ってきてしまいました。他人よりも自分を大切にする。従うよりも自由を大切にします。自分を可愛がり、自分にご褒美を与え、自分をアピールする。開放的でうらやましく思うときもありますが、周囲の人たちへの気持ちということもまったく考えない面には閉口です。
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「モルデカイの伯父アビハイルの娘で、モルデカイに娘として引き取られていたエステルにも、王のもとに召される順番が回ってきたが、エステルは後宮の監督、宦官ヘガイの勧めるもの以外に、何も望まなかった。」(15節)
エステルは、王のもとに行くときに、自分を飾るものを何も望まなかったとあります。自分に自信があったからというよりも、これは慎みということでありましょう。
良いかどうかは別として、エステルは、自分の目標を叶えるために一生懸命に生きるということができる女性ではなかったようです。どうしてお后になりたいわけではない。どちからというと、なりたくない。かといって、自分はイヤだと逆らうわけでもない。他人任せのようなところがあるのです。宝飾品にしても、勧められたものは素直に身につけるけれども、自分では何も求めないというのも、そういうエステルの性格を表しているのでしょう。
それはエステルの人生観を表しているように思います。そして、それはやはりエステル薄幸な身の上から来るものであったであろうと思うのです。エステルの人生は思い通りにならないことが多すぎたのかもしれません。その中で幸せになるためには、その全てを神様の御旨として受け入れるという方法しかなかったのではないでしょうか。
人間というのは、何でも思い通りに自分の人生を切り開いていけるものではありません。神様がその人に与えておられる「定め」のようなものがあります。男女の別もそうでしょう。美醜もそうでしょう。生まれた時代や、身分や、国もそうでしょう。自分の好き嫌いではなく、そういうものを自分の定めとして受け入れた上で、自分の人生というものを生きて行かなくてはなりません。そうしないと人生を否定するような消極的な生き方しかできなくなってしまうのです。
いずれにせよ、エステルのそのような人柄というものは他の娘たちと著しく違っていた。そして、人々にたいへん好ましく見えたわけです。その結果、エステルは誰からも愛される人となり、王の寵愛を受けることになったのでした。
「王はどの女にもましてエステルを愛し、エステルは娘たちの中で王の厚意と愛に最も恵まれることとなった。王は彼女の頭に王妃の冠を置き、ワシュティに代わる王妃とした。」
王様は、エステルが美人であるから王妃にしたとは書いてありません。エステルを愛した。それはエステルのために何かをしてやりたいという王様の気持ちを起こした。それによってエステルは王妃にされたというわけです。 |
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聖書 新共同訳: |
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible
Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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