■ 世間の冷たさ
「金の切れ目が縁の切れ目」という、ちょっと心寂しくなる言葉があります。「金」に限らず、つき合う値打ちがないと見極めると、人はすっと去って行ってしまうものなのです。夫や息子を相次いで亡くしたナオミも、ずいぶんそういう人の世の冷たさを経験したのではないでしょうか。
しかし、それも仕方がないこと。年老いたナオミ、独りぼっちのナオミ、悲しみに暮れるナオミ、貧しいナオミ、名もなきナオミ・・・ナオミにはもはや人に喜びや幸せを与える力など何一つありませんでした。人間の次元で考えるならば、ナオミは人に愛される値打ちもない人間になっていたたのです。
■ 真の愛は、それでも「共にいること」を求める
そんなナオミを、ルツは愛し続けました。愛とは何でしょうか。「愛は自分の利益を求めない」(1コリント13:5)と言われます。しかし、愛は求めます。財産でも、喜びでも、楽しみでもなく、ただその人と一緒にいることをひたすらに求めるのです。
相手が小さければ小さいほど、弱ければ弱いほど、その人と一緒にいることを求めるのです。ルツはナオミに言いました。
「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんな酷いことを言わないでください。・・・あなたの亡くなる所で私も死に、葬られたいのです」
他のものは何もいらない。何も求めない。あなたと一緒にいたいのだ、死んでもあなたと一緒にいたいのだというのです。
夫婦の愛、親子の愛、友との愛、教会の兄弟姉妹の愛、そして神と人間との愛・・・愛には喜びが伴います。しかし、いつも楽しい時ばかりとは限りません。うまくいかないことや、悲しい思いをさせられる時も多々あるのです。しかし、そういう時にこそ一緒にいようとすること、それが真の愛なのです。
|